一点の曇りも無く、まさに純白と言うに相応しい廊下で、黒い存在ソウルイーターは眼を覚ました。 静かに佇み、先の見えない廊下を見つめながら、脳内の膨大な記憶を思い返す。 様々な記憶がある。魂と引き換えに膨大な権力を得た者との記憶、魂と引き換えに強大な力を手に入れた者との記憶… そんな中、とある一つの記憶を思い出す。 荒野で、今回亜紀と戦ったかのように、一人の眼帯を着けた少女が自分に刃を向けた記憶。 体中に傷を作り、体中が鮮血で真っ赤に染まっている。それでも力の入らない血みどろの手で、指で、小柄な身体に不釣合いな大太刀を構え鋭い眼光で、巨大な槍を持ったソウルイーターを見据える。 ソウルイーターは血みどろの彼女を睨みながら言う 『汝、其ノ儚イ魔力デ、ドウヤッテ我ヲ倒ス気デイル?』 少女は、口に溜まった血の塊を乱暴に吐き捨てながら 「五月蝿いわね…たかが魂喰らいが私にタメ口きいてんじゃないわよ……」 黒い炎を纏った大太刀を振りかざし、ソウルイーター目掛けて真空波を巻き起こす。 ビュオォ! 鋭い風を切る音。ソウルイーターは槍を振り下ろし、其の真空波を叩き潰す。 しかし、その真空波を起こした直後に、彼女は一瞬でソウルイーターとの間合いを詰めて、袈裟斬りを放つ。 『ングゥアッ!』 「朱蓮發!」 黒い炎が朱い炎へと変化して、ソウルイーターを斬った所から炎が侵入する。毛穴、口、耳と身体の各所から火が飛び出て一瞬で、ソウルイーターを火達磨にする。 『――Soul Eater――Seventh――Wild Spear――!!』 新たに出現させた槍を一振り。 燃え盛る炎を切り裂き、ソウルは命からがら炎の渦から逃げる。 しかし、その一瞬の隙を少女が見落とす筈が無い。 「大体ね、魔力がどんなに小さくても、魔力が全てじゃない…どんなに絶望的な戦力差でも、最期に物を言うのは魂の力よ…魂が壊れなければ、負けはないわ!」 口元で言葉を転がし、大きく息を吸い込み叫ぶ。 「闇夜よ去れ!我が望みは永遠たる黄金の光!この漆黒の闇夜を其の光にて包み込み消し去るが良い!!」 ジャラリと、彼女の持つ身の丈ほど以上にある大太刀に付いている鎖が鳴り響く。 大太刀は黄金の光と共に、辺りの闇を喰らい尽くす。 闇とは、ソウルイーターの力だ。その力を喰われては何もすることは出来ない。 少女は大太刀を深く構えると、浅く息を吸い一歩でソウルイーターとの間合いを狭める。 降り注ぐ光が一瞬だけ止まる。 その代わりに、目の前に立つ少女の太刀から灼熱の炎が溢れ出した。 「地獄の炎を、味わいなさい」 静かに告げて、少女は太刀を振り下ろした。 記憶はそこで終わりを告げて、影は白い廊下へと意識を戻す。 溜め息をついて、一振りの槍を顕現させる。 『――Soul Eater――First――Daemon Spear――』 そして、カツンと闇で出来た靴底を鳴らし その先へと向った。 鈴島亜紀は白い廊下のような場所で目を覚ました。 始まりでも無ければ終わりでもないような、本当に廊下の中心で目を覚ました。 左を向いても、右を向いてもどちらもただ廊下が果てなく続いているだけである。 壁に等間隔についていた窓を見ると、日が沈みかけたような薄明かりが続いていた。 (……白夜か?) 亜紀は窓の向こうを見ながら心中呟く。 しかし、此処はどこだろうか? 亜紀は自分の記憶を遡る。 しかし、こんな所にきた覚えは全く無い。 では、自分は死んでしまったのか? 亜紀は首を振りそれを否定する。 たとえ人が死んで、天国や地獄に逝くのだとしても 自分がそれに当てはまることは限りなくゼロに近い。 自分が死ぬと魂に成る。 が、その魂は刻まれた魂喰らいの刻印により、天に召されることも、地に堕ちる事も無く、三途の川に行く前に食い尽くされてしまうだろう。 故に自分が死んでいることは、まず無いだろう。 「……あれ?」 そこまで、考えてようやくあることに気づいた。 「……ソウルイーターの気配が…無い?」 今まで亜紀は完全に覚醒していなかったために、自らの内に秘められた魔力にもソウルイーターのことにも気付けなかったが、今の亜紀ならば、ソウルイーターほどの強力な力に気付かないはずが無い。 しかし、完全に身体から分離したかのように、全く身体から気配がしなかった。 「……いや…」 亜紀はもう一度、身体中に神経を張り巡らせソウルイーターの気配を探った。 「見つけた」 僅かだが、本当に魔力の1滴ほども無いが、噛み合わない歯車に亀裂が入ったときの不快な音のような、そんな吐き気のするような気配が居た。 そこで、一つ確信する。 自分は死んでいない 自分が死んで、今此処にいるのが魂であり、ソウルイーターに喰われたとして 外界に不快感の塊であるようなソウルイーターを感じても 自分の中に感じることは無い。 万が一死んで魂となりソウルイーターに喰われず三途の川にでも逝ったとして、自分の中に奴を感じることは、万が一にも億が一にも無い。 ならば、此処が何処かは知らないが、この自分とは違うもう一つの身体が鈴島家の庭に今でも眠っているはずだ。 ならば、早く沙羅を助けに行かなくてはならない。 そのために、ソウルイーターを手に入れたのだから。 こんなに弱っていても、最強、否、最凶であるには違わない。 「――Soul Eater――First――Daemon Spear――」 小さく呟くと、ソウルイーターが具現させたよりは小振りだが、確かに槍が一本手元に現れた。 その力を強く握り締め、悪魔の一振りを消して、左方向に走り出す。 どっちか分からなければ適当に走れば何かにぶつかるだろうという、行き当たりばったり方式ではあったが、 それでも、亜紀は走りだしていた。 力強く、地を踏み締め、白き廊下の彼方へと飛ぶ様に駆けて行った。 その頃、滑るように歩くソウルイーターは自らの力が他のところに二つあることに気づいた。 それは亜紀が使った物と、もう一つ自分ではない何かが自分と同じ系統の匂いを発していたからだ。 今は亜紀と意識だけ分離しているから、自分の能力を使ったのならそれで良い。 しかし、自分を宿していない者が自分と同じ匂いを発していることは納得できなかった。 (コノ異界……何が起コッテイルト言ウノダ) ソウルイーターは気配のする廊下の果てを見据えながら小さく溜め息を漏らし、再び歩き始めた。 走り始めて、歩き始めて何分経ったかな? と考える奴が居るが、今の亜紀にはそんなことを考える時間すら惜しかった。 走って、走って、足がもつれて転んでも跳ね上がるように起き、再び走り出す。 そうして、本当にどれ位経ったか分からなくなった頃ようやく、廊下の果てまで辿り着いた。 肩で息をしながらその“果て”を見る。 そこには大きな扉があった。 見たことも無いような文字や、英語、古代ルーン、記号のような文字等がさまざまな言語が刻まれている大きな扉であった。刻まれている文字の中には日本語も混じっているが、意味の無い言葉の羅列に過ぎなかった。 扉の取っ手に亜紀が恐る恐る手を掛けようとすると 『あ、鍵開いてるから入っていいよー』 なんとも軽快な声が扉を通して聞こえてきたのだった。 瞬間、呆気に取られたように取っ手を掴んだまま立ち呆けてしまった。 『あ、大丈夫大丈夫!開けた瞬間に矢が飛んでくるとか、危ないことは無いから!!』 誰も訊いては居ないが、亜紀が入ってこないことを、扉を警戒しているからだと感じ取ったらしい。 亜紀はその言葉に我を取り戻し 扉をゆっくりと押した。 扉の向こうは廊下と同じ白い部屋ではあったが、畳張りで真ん中にちゃぶ台が設置されていた。 他にも箪笥や冷蔵庫、水道やコンロまで完備していた。 そしてそのちゃぶ台の前に一人の少年が座っていた。 「や、いらっしゃい。ていうか今年は何時に無く来る人多いなぁ。たく、もっと皆平和に生きるべきだよね?」 その少年の姿を見て亜紀は不気味に思う。 少年の格好はワイシャツにスラックスとラフな服装では合ったが、肩の辺りに映画で見るようなホルスターがくっ付いておりホルスターの中には無骨な銃が1挺納められている。 しかし、その銃を持った姿が不気味というわけではない。 彼の左目に付いた黒いベルトが不気味なのだ。 見えないはずの左目から漂う不気味な“何か” 自分の身体に宿る“魂喰らい”の刻印よりも不気味に蠢くような強い力の塊。 幸福、悲愴、激怒、憎悪、愛情、好意、様々な感情がせめぎあい、一つの巨大な力が作りだされ、そこから発する人間には理解できないほどの威圧的存在感が亜紀の存在を鷲掴みにして砕こうとするようなそんな不快感。 思わず後退する。 それを見て少年は悲しそうな笑みを浮かべて 「誰も取って食うなんてことしねぇよ…たく……」 と小さくぼやいた。 「まぁ座れや、鈴島亜紀君」 「え?何で…俺の名前を?」 亜紀は入り口に立ったまま少年の笑みを見ながら口を開いた。 少年は指をパチンと鳴らし、手元にティーセットを現した。空間転移の術だ。 少年はそこからお茶を入れながら 「此処は“<ruby>白夜回廊<rt>はくやかいろう</rt></ruby>”って言ってなぁ、俺が昔、神と呼ばれてたときに異界に創ったんだ。だけど、俺が居たその世界は滅びちまったから、もうその世界の住人が来ない。だから俺の別荘みたいにして使ってたんだけど、それも飽きたから、お前みたいなヤツを呼んで、道標を立ててやってんだ。その時名前わかんなきゃ、困んだろ?」 「?」 亜紀が首を傾げているのを見ると、彼は溜め息を吐いてカップを差し出した。 「すまね、忘れてくれ」 忘れるも何も、亜紀は彼の言ったことで分かったことと言えば、此処の名前と、後は名前が分からないと呼ぶのに困るから。ということぐらいであった。 「とりあえず、お前は何か困りごとが有るんだろ?そんな、身体に魂喰らいまで宿してるんだからさ」 その言葉に亜紀の肩が跳ね上がる。 「な、なん――」 「なんで知ってるかって?野暮なこと聞くなぁ、見りゃ分かるさ。お前だって分かるだろ?自分の中に居るソウルイーターの気配が」 そう言われ、亜紀は口篭る。 確かに、魔術関係の人間ならばソウルイーターの気配を感じ取ること可能。しかし、ソウルイーターの存在を知っている物は少ない。伝説上での呪いでしかないソウルイーターは、出現も能力も全て謎のままでしかないため、誰も実際に存在するとは思っていないだろう。では、何故この少年は、自分の中に蠢く闇をソウルイーターと見抜けたのか… 「な、なぁ、何でソウルイーターの事を知っているんだ?」 「それは、俺がソウルイーターの存在を何故認めているのか?という質問か?」 亜紀は無言で頷く。 「それはだなぁ――」 その瞬間。 カン 軽快な金属音が部屋に鳴り響いた。 亜紀が何だ?と思っている間に、目の前の少年は今までの軽薄な態度から打って変わって懐からコルト・パイソンを抜き油断の無い瞳で亜紀の入ってきた扉に照準を合わせる。 「亜紀、いいか?」 銃を扉に向けたまま亜紀の横隣にしゃがみヒソヒソと耳元に声を掛ける。 「時間が無くなっちまった。全く下らねぇ話をしすぎた…後ろにドアがある。そこから真っ直ぐ進むと元の世界に帰れる」 「お、おい!何だよいきなり!」 「今から来る奴は…お前じゃ危険だ。死にたくなかったら早く往け」 「だから、何が来るんだよ!!」 カツン 再び金属音。 瞬間。亜紀の全神経が悲鳴を上げる。 「な!?」 この魔力の流れは、 「ソウルイーター!?」 「そうだ、いいから早く往け!俺がヤツぶん殴ってお前の中に戻してやるから!」 「そんなの、無理に決まってんだろ!?」 「無理じゃねぇ!!」 その叫びに亜紀は肩を震わす。 「俺は大昔にソウルイーターを殺した人間だぞ!奴に殺されるくらいなら蟻に殺されたほうがまだ笑えるわ!!」 「!?」 亜紀はギョッとした。というより、何と言ったコイツ!? カン 三度目の金属音 「早く、早く逃げなさい!!」 「えっ?!」 叫んだ彼の声が変わっていた。通常よりもキーの高い女の声だ。 良く見ると顔つきも段々としなやかになり、短かった髪もどんどん伸びてきている。 「たく!奴が出てきた途端コレ!?ふざけんじゃないってんのよ!全くッ!」 「な、何で女に?!」 「別になんだって良いでしょ!?早く往きなさい!あと、これ持っていきなさい」 亜紀の胸元に彼女は何かを押し付けた。 「それが、何時か貴方の役に立ちますように。これ以上は言わないわ、早くその扉から出て往きなさい!大丈夫よ、魂喰らいに<ruby>殺<rt>ヤ</rt></ruby>られる程ヤワじゃないわ」 「……分かった、ありがとう!」 「はいはい、全くお礼言われる程の事もしてないのに……今回は何も良い所無いわ…扉はいつでも開いてるから何時でもいらっしゃい。そのとき私がこの姿かどうかは知らないけど」 亜紀は最後まで言葉を聞かずに走り出していた。 白い扉の取っ手を掴み、思い切り押し開ける。 「!?」 扉の向こうは白い力の流れが唸りをあげながら、蠢いていた。 踏み込んだら、その瞬間に死んでしまいそうなほどの超高密度の力場。 「早く!!」 ドンッ!! 後ろから扉が開く音。 『ナ…ッ!?貴様ハ!?』 地の底から響き渡るような轟く声。 「往きなさい!!」 彼女の声が響いた瞬間。亜紀は部屋から飛び出していた。 唸りを上げる白い力の流れ。 血肉が張り裂けそうに成るほどの悲鳴を上げる。 しかし、耐える。 砕け散りそうなほどに奥歯を噛み締め、腕がもげ、目が切り裂かれ、足が砕け散ろうとも耐える。 この先に最愛の妹が居る。 それを助けるためにはこんな所で死ぬわけにはいかない! そして 亜紀の意識は 白き渦の中に消えた。 ○=目次へ |