第五話 白き廊下の彼方〜後半〜



『何故…汝…貴様ガ居る』
「何だって良いでしょ?それより、さっさとあの子のところに往って来なさい。アンタ負けたんでしょ?」
少女は左手にコルト・パイソンを構え、発砲する。
パン!
装填されていた弾丸が真っ直ぐソウルイーターの青白い額に直進する。
しかし、弾は直撃する直前に灰になって消えた。
「やっぱ、通常弾丸じゃ届きもしないか…」
彼女はそう言って新たな弾丸を装填する。
「対神格用弾丸“火紗丸ひしゃまる”“水桜花すいおうか”」
『ナンダ、ソレハ?』
「私が昔、もっと弱かった時に創った物よ。まだ使えるかどうかは知らないけど、ね!」
その瞬間にコルト・パイソンが火を噴く。
「“火紗丸”!!」
『!?』
ソウルイーターは身を捻り銃弾を避ける。
彼の纏っていた黒コートを、炎を纏う弾丸が貫く。
『汝、何故…我闇ヲ貫ケル』
硝煙が昇るコルト・パイソンを構えつつ
「関係ない…さっさと、逃げたほうが得策よ?」
ソウルイーターを冷ややかに睨む。
『ソウモイカナイノダ』
手元にある悪魔の槍を地面と水平に構え
『ハッ!!』
鋭く突き出す。
その槍は真っ直ぐに彼女の胸元に飛ぶが
「無駄」
小さく呟くと同時コルト・パイソンの引き金を絞る。
吐き出された弾丸は氷の結晶を撒き散らしながらデーモンスピアに被弾した。
「そんなケチな技が――」
被弾した槍は先端から徐々に凍り始めそして音もなく砕け散る。
「――この私に通用するとでも?」
ソウルイーターは悟られぬように下唇を噛んだ。
「お笑い種にもならないわね、ソウルイーター。まぁかつての私に斬られたお前が、今の私に勝つことなんて不可能ていうものね」
少女はつまらなさそうに息を吐き、ソウルイーターの元に靴底を鳴らしながら近寄る。
そして、コルト・パイソンの銃口をソウルイーターの額に押し付けこういう。
「あんたが、どんなに人を喰おうとも私の知ったことじゃない。でもね、アンタはあの子に負けたんだから、その子の言ったことくらいは聞きなさい、いいわね?」
有無を言わせぬ態度で、自分より背の高い男に吐き捨てるように言う。
ソウルイーターは次の槍を用意しようと身構えたが、途中でやめた。
この少女と殺り合っても勝てる気がしなかったからだ。
「ついでに言うけど、あの子はアンタが思ってるほど弱くない。彼が死んでも、その魂はお前が喰らうことはできないわ。それだけ胸に留めて、消えなさい」
少女の細い指先が武骨な拳銃の引き金を引く。
鋭い銃声が部屋に響く。
打ち抜かれた眉間からは血ではなく、真っ黒な闇が噴出した。
何処までも黒く。この世界と間逆に位置するような色が撒き散らされる。
噴水のように止まることなく止みは噴出し続け、ソウルイーターは闇に彩られた白い床に仰向けに倒れこんだ。
『我ハ…汝ニハ…勝テナイノカ?』
倒れたソウルイーターは身体が段々と崩れていた。
「勝てるわけ無いでしょ?ていうか、この私に勝てる奴なんて…それこそ、アンタなんか赤子に見えるくらいの化物よ」
少女は寂しく言う。
『デハ、汝ハ化物デハ無イノカ?』
「化物よ……アンタなんかより全然化物よ…私にとってアンタなんかはただの子供にしか見えないわよ」
『ソウカ……ソロソロアノ者ノ所ニ往クトスルカ…』
ソウルイーターは誰がどう見ようが、穏やかに笑っていた。
その笑みを見て少女もクスリと笑う。
子供が無邪気に遊ぶ姿を見て微笑む母のような笑み。
「まぁ、アンタが死んだら面倒見てあげるわよ。それも私の役目だからね」
『本当ニ…汝…貴様ハ分カラン……汝ガ人間ナノカモ…ソウデナイノカモ…』
「……そうね…私にも分からないわよ…自分が誰なのかなんて……」
『ソウカ……デハ、去ラバダ…』
そして、ソウルイーターは灰のように真っ白になり崩れ落ちた。

ソウルイーターが消えたと同時、少女は元の少年の姿に戻っていた。
「ふぅ……汝が人間なのかも、そうでないのかも…か」
溜め息をつきながら、ソウルイーターが言った言葉を繰り返す。
そして、寂しそうに笑い、亜紀が出て行った扉を見る。
部屋と同じ純白の扉。何の飾りも無くただ取っ手がついているだけの味も素っ気も無い扉…
あそこから、沢山の人々が自らの大切な物を守るために飛び出していった。
彼も同じように飛び出した…
そのたびに、彼は自分より強い“何か”をその人たちの中に感じ、そして毎回同じように、
自らに問いかけているのか、繰り返す言葉があった。
「彼等は…俺を殺せる者に成れるのか?」
そして、少年は再び自嘲気味な笑みを浮かべ、
白夜の廊下で何かを守ろうとする者を待つ…

永遠に…
自分が本当の意味で死ぬまで
永遠に…
少年は、少女は、待ち続ける
永遠に…
自分の永久の命に終止符を打つ者を
永遠に…
待ち続ける…
永遠に…
永遠に…
永遠に…

「がぁ……ッ!!あぁあ…あぁ…ッ!!!」
鈴島亜紀の目覚めは最悪であった。
起きた瞬間に体中の傷口が開き、栓を開ける前に振った炭酸飲料のように激痛が噴出した。
辺りには鮮血が飛び散り、息を吸おうとしても肺がつぶれて口から血が溢れるだけだった。
周りに助けを求められる人も居ない。
まだ、世界は硬直したままであったからだ。
(俺は……一体…)
亜紀は動かない身体で小さな呻き声を上げながら記憶を遡る。
ソウルイーターと戦って、そして妙な白い廊下へと導かれ、一人の少年と出会い、そして今の状況。
何がなんだかさっぱり分からない。
「うっ……あっ…あぁ!」
悲痛なうめき声を上げるが誰も助けに来ることはない。
ソウルイーターの空間制御ならば、沙羅の所属している協会という奴等も気付くことの出来ないほどの精度であることは確実だ。
(畜生がぁ……)
しかし、ツキは亜紀に見方をしてくれた。
《助ケガ要ルノカ?》
嘲笑うような声であった。
しかし亜紀はその声だけでゾッと背筋を震わした。
脳内に直接響くような低い声。
身の毛がよだつような不快感。
《全ク、ソレデ汝ハ我ヲ扱イキレルノカ?》
〈何のことだ〉
亜紀は脳内に語りかける。
《ソノママノ意味ダ。使イ手ガ、コノ程度ノ怪我デ動ケナイトアッテハ、我ガ情ケナイ》
〈俺がお前の使い手だと?〉
口に出していたら心底間抜けな声であったことであろう。亜紀は自虐的に笑おうとするが、怪我で上手く笑えはしなかった。
《汝ハ、我ヲ取リ込ンダノダカラ当然ダ。我ハ汝ニ従イ、汝ノ力ト成ロウ》
〈は!それが本当なら、今世紀最大のジョークだな〉
亜紀は皮肉を言ったが、ソウルイーターは何処吹く風
《デハ、手始メニ汝ノ怪我ヲ治ソウ》
どっと体中に力が流れるのが分かった。
神経の一本一本まで研ぎ澄まされていく。
「ガハ…ッ!!」
唐突に肺から圧縮空気が膨れ上がったかのように口から空気が吐き出た。
「ゴホッ!ゴホッ!!はぁ、はぁ……」
うつ伏せの状態から仰向けに転がり荒く息を吐いたまま、その状態で止まる。
〈何の真似だ!〉
《コレデ信ジタカ?》
ヤツに何があったのかなど想像することすらできない。
怪しいということしか頭に無くなってしまう。大体、魂を喰らう者が何故自分を助けたのか?確かに亜紀はソウルイーターと戦い、自らの中にソウルイーターを封じ込めたが、意識を亜紀に同調することが出来るならそこから亜紀の魂を喰らうことも可能なはずではないのか?
しかし、今の亜紀にとってそんなことはどうでも良い。ソウルイーターが大人しく言うことを聞くと言うならば、それほどの役に立つことはない。
〈まぁ良い!兎に角話は後で付ける!今は沙羅の所に往くのが先だ!〉
亜紀は脳内で叫ぶと、右腕を翳し空間制御に魔力を流した。
壊れた家が元の形を取り戻す。
それを確認するや否や、亜紀は空間制御への魔力を断ち切り、一気に跳躍する。
家の屋根に上ると両腕を地面と水平に伸ばし、目を閉じた。
(今、秋瀬市で最も魔力が集まってる場所は――)
じわりと、亜紀の額に汗が浮かぶ。
精神を秋瀬市全体に引き伸ばし、魔力の流れを掴む。
そして
(――見つけた!!)
場所は此処から少し離れた、秋瀬市にある巨大なスラム街ハーブスト・ステッドの廃ビルの一つであった。
自転車で鈴島家から30分ほど、しかし、
(間に合わない…)
今すでに魔力は展開されている。30分も掛かったらおそらく、沙羅は死んでいるだろう。
〈ソウルイーター、見えてるだろ、此処から北西にあるスラム街に展開されてる魔力が〉
《見エテイルガ?》
〈飛んで往けるか?〉
《当タリ前ダ》
〈じゃあ、往くぞ〉
亜紀は屋根から足を強化して高く空へと舞い上がる。
「――Soul Eater――Eleventh――Darkness Feather――」
口の中で言霊を転がすと、背中に闇の羽が現れた。
そのまま、北西のスラム街で輝いている、おそらくは沙羅の空間制御を睨む。
大きく息を吸い込んだ後、自らの姿を消すために空間制御を掛ける。
そして一気に羽を広げ、スラム街へと飛翔した。
その間に掛かる時間はおおよそ30秒。
(生きてろよ、沙羅)
亜紀は鷹の様に鋭い眼光で前を睨み、秋瀬市の黄昏の空を翔けた。

天使の羽を思わせるかのような真っ白な空間制御を創りだした少女、浅沼沙羅は目前の敵に背中を向けていた。
「ハハハッ!!何だ、さっきの威勢は何処に消えた!?もっと私を楽しませろ!」
手から光線を放ちながら高らかに笑う魔獣フォスニス。
「はぁ…はぁ…何なの…コイツ……昼間の時と全然違う…」
沙羅は魔力で流れを作り、滑るように移動しながら魔獣の力を観察する。
「少なく見積もっても上の下って所……ありえないわ」
フォスニスが腕を軽く振り上げただけで、近くにあったビルが半壊する。
「ハハハッ!!力が、力が湧いて出るようだ!!」
沙羅は下唇を噛みながら、何処の雑魚敵よ、と心中毒づく。
しかし、相手は雑魚ではない強者だ。甘く見ているとやられる。
沙羅はスッとビルの角を曲がった。
フォスニスはそれを見ると、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、巨体には見合わないスピードで沙羅の後を追う。
しかし、そこには沙羅の姿は無かった。
「ん?何処へ消えた、人間」
フォスニスの問いかけに答えたのは沙羅の声ではなく、魔の矢がビルを壊す轟音だった。
「な!?」
崩れ落ちるビルを見上げ、フォスニスは驚きの声を上げた。
ガラガラガラ!
ビルが崩れ、おそらくフォスニスは生き埋めに成ったであろう。
沙羅は身を隠していたビルから飛び出ると、魔獣が埋まっている瓦礫に向かって、右腕を突き出し、呪文を唱える。
「去れ、闇より来たりし魔の象徴よ。我が聖なる矢は魔を滅さん!!」
呪文が完成すると同時、沙羅の右手から巨大な光の塊が飛び出した。
その矢は真っ直ぐに瓦礫を貫き、瓦礫の先にあるビルまで破壊して往った。
「これでどう?化物」
沙羅は扱える中で最も強い術式の一つを、魔獣にぶつけた。これならば、幾ら上級魔獣といえども、唯ではすまない。
と、思っていたが
ズガン!と巨大な音が沙羅を震わした。
瓦礫の頂上から天に向かって緑色の閃光が走った。
瓦礫は全て吹っ飛び、中からは機嫌の悪そうな顔をしたフォスニスが無傷の状態で現れた。
「やるな、人間。さすがに、今のは危なかった」
全然そうは思っていないような口ぶりであった。
沙羅は絶望的な瞳で魔獣を見た。
擦り傷のような掠り傷は合っても、致命傷になるような怪我は見当たらない。
「貴様は、二回も私をコケにした。まずはその右腕から切り落とすとしよう」
ゴキッ
と、首を鳴らし沙羅に向かって人差し指を伸ばした。
「この一撃で、死んでくれるなよ?人間」
嫌味のこもった声で、ニヤリと笑い、人差し指に魔力をためた。
「“魔空砲まくうほう”」
術式は、さっき商店街で見たのと同じでは有った。しかし、魔力の密度が違った。
魔力で作り出す、武器や、フォスニスのような光線などは、魔力値で攻撃力が決まる。
ようは、魔力密度が高ければ高いほど、効果は増すということである。
そして、どう見ても手加減しているようにしか見えないフォスニスの術式は、
沙羅の力を遥かに超えていた。
単純な上級魔獣だったら、沙羅にでも倒せるが、コイツは異常だと沙羅は自らの嗅覚で悟った。
上級魔獣であることには違いはない。
しかし、沙羅が今まで見てきた上級魔獣たちとは何か、異質な物を感じ取れた。
だが、今更気付いても遅かった。
本当ならば、もっと早く気付いて協会に連絡して逃走を図るべきであったのだ。
しかし、完全にタイミングを逃してしまった。
沙羅は目を閉じて、キッと魔獣を睨む。
おそらく、自分は此処で死ぬだろう。だったら最期まで抵抗してやろう。
私が死んでも、協会のほうが何とか情報整理をしてくれるはずだ。
その結論に至ると、沙羅は右手を前に突き出した。
目頭が熱くなり頬に熱い涙が伝った。
そしてその瞼の裏に一人の兄の姿が映った。
今日、10年ぶりに再会して、一緒に住むかとまで言った、兄の笑みを思い浮かべ、沙羅は奥歯を噛み締めた。
「私は望む!」
沙羅が叫ぶ。
フォスニスは、ほぉ。と笑みを浮かべた。
「闇を消す力を!」
沙羅の右手に光が灯る。
「魔を滅する力を!」
右手の光が収束し、一筋の光となって、魔獣のほうに向いた。
「全てを救う力を!!」
「魔王を射殺した弓を我が手に!!」
「射殺せ、サルンガ!!」
沙羅が叫ぶと光が膨れ上がり、沙羅の手から飛び出した。
それと同時に、嘲笑うかのような笑みを浮かべたフォスニスが人差し指から魔空砲を放った。
二つの力が衝突し、互いにぶつかり合い、お互いを負かそうとギリギリと前に進もうとする。
(お願い、勝って…)
沙羅は右手を前に突き出したまま力の制御に集中する。
魔力のぶつかり合いは精神の戦いだ。
どちらかの精神に一瞬の振ぶれが起きれば最後
精神を乱したほうは敵の力に押し負かされる。
しかし、沙羅は分かっていても、精神に乱れが生じていることを認めざるを得なかった。
さっき、魔獣に撃ち放った術のせいで、精神力が途切れかかっているからだ。
それでも、精神を集中させ、さっきよりも大きな術式を展開した結果、ぶつかり合いの最中だというのに、精神に乱れが生じた。
沙羅の弓矢に亀裂が生じた。
「!?」
真っ白な弓矢に、フォスニスの緑色の魔力がにじみ出て亀裂を生む。
そして、キシキシと悲鳴を上げて、遂には
「そんな……」
崩壊した。
沙羅は絶望的な声を上げた。
崩壊した弓矢が完全に消失するまで、時間がある。そのうちに逃げればいいのに、沙羅は足が竦んで動けなかった。
脳裏に、様々な記憶が蘇り、ただ悲鳴を上げるだけだった。
「イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
遠くで、地響きのようなフォスニスの高笑いが聞こえ、サルンガが完全に消滅した。
そして、障害の無くなった魔空砲は真っ直ぐに沙羅を捕らえ、唸りを上げて沙羅に直撃する。
辺りが、魔空砲の余波で崩壊した。

さながら、さっきと立場が逆転するかと思いきや、実際、ビルは崩壊どころの騒ぎでは無く、
文字通り、消滅していた。
残ったのは、粉塵と焼け焦げた地面。
「…ハッ、ハハハ、ハハハハハハ!!!消えてなくなったか、人間!!」
フォスニスは、焼け焦げた大地を見て高らかに笑った。
しかし、その笑いは、一人の少年の声により沈黙へと変わった。
「どこのどいつが消えてなくなったって?えぇ、化物が」
フォスニスめがけて一振りの槍が飛んだ。
「!?」
フォスニスは慌てて身体をよじり、その槍を避ける。
その拍子に体制を崩し隣のビルめがけて倒れこんだ。
「誰だ!」
まだ晴れぬ粉塵めがけて、片膝付いた状態で叫んだ。
「誰だぁ?何だそのお約束的常套句は、俺が誰だって、貴様には構わないことだろ?」
やがて粉塵が晴れた。そこには鋭い眼光でフォスニスを睨み、そして不敵に笑った少年が佇んでいた。

沙羅は閉じていた目を開け、前を見据えた。
そこには丸く穴の開いた、学生服を着た少年が片膝付いた魔獣と向かい合うように立っていた。
「誰だ!」
魔獣が叫ぶ。その叫びに堪えるかのように少年も不敵に笑いながら叫んだ。
「誰だぁ?何打そのお約束的常套句は、俺が誰だって、貴様には構わないことだろ?」
「何だと!?」
魔獣が怒号を上げた。地鳴りのような声で沙羅は身を震わした。
しかし、目の前の少年は身を震わすどころか
「ぎゃあぎゃあ叫ぶなよ、耳がキーンって成るだろ?もう少しご近所様の迷惑という物を考えろ」
そう笑い飛ばした。
沙羅はその少年に恐る恐る声を掛けた。
「…あ、亜紀?」
何故自分でもそう言ったのか分からなかった。亜紀が来る筈がない。来られる筈がない。
そんなことは分かりきっていた筈なのに、どうしてもそう呼ぶしかなかった。
そう言えば、亜紀が振り向いてくれる。そんな甘い願いを抱いてしまったのだ。
彼は、沙羅の問いかけに答えるように振り向いて
「待たせたな、沙羅」
願いは実現した。

亜紀は屈託のない笑みで振り返り
「待たせたな、沙羅」
しかし何処か吹っ切れたようなそんな笑みを浮かべ、沙羅を見た。
沙羅は亜紀の姿を確認すると、涙をボロボロと零し、喜びと怒りが混じった声を上げたが、
「亜紀!どうして……ヒッ!」
亜紀のワイシャツにベットリと付き、真っ赤に染め上げているものに気付いた。
「どうしたの!?その…血」
「あ?あぁ、まぁ色々とな。とりあえず、話は後だ。まずは、あのデカブツからだ」
亜紀は再び魔獣と対峙する。
「じゃあ、往くぞ?」
「何だと?」
フォスニスが何か言う前に、亜紀はすでに宙を舞っていた。
「――Soul Eater――Eleventh――Darkness Feather――」
漆黒の翼が広がり、そこだけが、白い空間制御の中に浮き上がる。
「えっ?」
驚きの声を上げたのは沙羅だった。
しかし、亜紀には届かない。
「どうだ、化物。どんなものも空から襲ってくる物を恐れるが、貴様はどうだ?俺を恐れているのか?いや、貴様には羽が有ったなぁ。それでは、空からの敵を恐れることは出来ないか……では、こうしよう」
亜紀は左手を構え
「――Soul Eater――Seventh――Wild Spear――」
口元で言葉を転がす。
すると、左手に一振りの槍が現れる。
そして、それを振り下ろすと、真空波が巻き起こった。
その真空波は、フォスニスの羽だけを切り裂いた。
「ぐぁあッ!」
「どうだ、これで貴様は空を飛べない。どうだ、俺が恐ろしいか?」
巫山戯ふざけるな!!」
魔空砲が飛ぶ。
それをヒラリと、避ける。
「別に巫山戯てはいないさ。むしろ大真面目」
再び槍を振るう。
フォスニスが突き出した指を切り落とす。
「ぐぁ…ッ!」
「大体、巫山戯てるのはそっちだろ?」
まるで我儘な子供を宥めるような声でフォスニスを睨む。
もう一度槍を振るう。
右腕が肩から切り落とされた。
「ぐぁあああ!!」
「何だよ、抵抗しろよ」
さらに槍を振るった。
今度は左足を根元から切り落とす。
ドスンと音を立てて魔獣が体勢を崩した。
「な、生意気な…小僧無勢が!!」
残った左腕に生えた爪を伸ばし、真横に振るう。
しかし、亜紀は避けようともせず、ただ槍を振るうだけ。
真空波が巻き起こり、轟音を立てて左肩から腕を切り落とす。
「ぐぁああああああああああああああああ!!!」
「つまらないな。お前」
そして再び槍を振り上げ、そして振り下ろそうと構えたとき
「待ってくれ!」
フォスニスが叫んだ。
「何だと?」
亜紀は振り下ろそうとする手を止めた。
「待ってくれ!頼む。見逃してくれ!」
「見逃せ、だと?」
「あぁ、頼む!私を見逃してくれ。もう、人間界には来ないし、人も喰わない。誓おう!」
情けない声を上げる魔獣の姿を見て亜紀は吐き気がした。
「は!」
亜紀は笑う。魔獣を嘲笑う。
「下らないな。魔獣」
しかし、亜紀は槍を消した。
《見逃スノカ?》
〈…………〉
頭に直接響く、ソウルイーターの皮肉げな声が聞こえたが、亜紀はそれを無視して。こう言った。
「都合が良すぎるんだよ」
「な、何だと?」
魔獣は素っ頓狂な声を上げた。
ゆっくりと、空から羽ばたきながら地面へと着地する。
「お前さ、そう言った奴を助けたことあるか?あるわけないよな?うん。聞いた俺が莫迦だった」
左腕を伸ばし、一歩前へ進む。
「俺は、漫画の主人公みたく優しくないから、見逃さねぇよ。当たり前だろ?」
左手に黒い炎のような魔力が集まる。
「それにお前は――」
左手に集まった炎を握る。
「――3つ間違いを起こしている」
炎の密度が濃くなり、細い槍を象っていく。
「まず1つ、さっき俺たちを襲ったこと。2つ、俺を“目覚め”さしたこと――」
そして、と言葉をつむぎ
「――3つ目は、コレ重要」
ギュッと槍を握り締める。
「沙羅に手ぇ出したことだぁ!!」
「ヒっ!!」
魔獣が小さく悲鳴を上げた。
「――Soul Eater――First――Daemon Spear――!!」
悪魔の一振りを顕し、魔獣めがけて跳ぶ。
「大体、情けねぇんだよ手前てめぇ!自分に誇りを持って最後まで戦えよ!!畜生がぁ!」
デーモンスピアを、思い切り振りかざし、フォスニスの眉間に突き刺す。
「がぁああああああああああああああ!!!」
「――Soul Eater――Beginning――Six Spears――!!」
亜紀が叫ぶと、フォスニスを中心とする6方向に槍が現れた。
そしてそれは、亜紀が手を握ると、中心に集まった。つまり、六槍がフォスニスの身体を突き刺した。
もはや悲鳴を上げることすらできない。
「悪いが、お前は楽々とは死なせねぇ。喰らうぜ、魂」
亜紀がニヤリと笑い、フォスニスの巨体に触れる。
「がぁ……ッ!!」
触った瞬間、フォスニスは叫びを上げようとしたが、途中で止まった。
《何ダ?喰ッテ良イノカ?》
ソウルイーターが皮肉げにそう言う。
そして、亜紀の手から闇が零れた。
〈別に、貴様に頼んなくても、コレくらい出来ないはずがない〉
闇は、意思を持ったかのように滑らかに動き、魔獣を包み込む。
その様子はまるでクリオネが獲物を捕食するような、そんなグロテスクな様子であった。
そして、完全に闇がフォスニスを包み込むと同時、その闇は
「ごちそうさま、不味くはなかったよ……フォスニス君」
亜紀の体内へと吸収された。
《中々》
〈お褒めの言葉ありがとう。貴様が言ってもただの嫌味にしか聞こえないがな〉
亜紀はソウルイーターの言葉を皮肉気に笑い飛ばし、後ろを振り向いた。
「よぉ、何吃驚してんだよ……せっかく、俺が“帰って”きたのによ」
沙羅に向かって亜紀は言う。
帰ってきたには、自分に対して皮肉気に、“この”世界に帰ってきたことを指していた。
沙羅は口を半開きにしたまま、夢でも見るかのような目で亜紀を見ていた。
棒になったかのように立ち尽くし、亜紀に声をかけられたら、俯いて泣き始めた。
「うぇ……」
「お、おい!何で泣いてんだよ!」
突然泣き始めた沙羅に驚き、慌てて駆け寄った。
「どうした?何処か怪我でもしたのか?」
あたふたと沙羅の身体をチェックするが、特に以上はない。しかし沙羅は俯いてしゃがみ込み、泣き崩れたままだった。
「うぇえええ」
泣き崩れた沙羅を見て、亜紀が必死に何処か痛いのかと聞いてくる。そして、亜紀が沙羅の前に来ると、沙羅は泣き崩れたままで叫ぶ。
「うぇえええ、こ、この、莫迦兄!!!」
真っ直ぐに拳を突き上げ、亜紀の顎にクリーンヒットする。
「ウガッ!!」
そのまま弧を描きながら、亜紀は仰向けに地面に倒れた。
「ななななな何で、家ええに居ななかったのよぉおおおおおお!!!」
泣き崩れた顔のまま、右足を振り上げ、思い切り亜紀の腹に振り下ろす。
「グェッ!」
蛙が潰れたような奇妙な音が亜紀の口から発せられる。
そして、沙羅は仰向けになった亜紀に馬乗りになって、顔やら胸等を激しく殴りつけた。
「だだだ大体!何で!亜紀が、魔法使えたのよ!!使えないって言ったじゃ!ない!!」
「い、いや!俺にも色々事情があってだなブッ!何だかんだでグヘッ!能力が戻っグハッ!!たんだウゲッ!!よ!!ていうかいい加減にしろぉ!!」
何時までも殴り続ける沙羅を放り投げて、肩で息をしながら口から垂れる血をぬぐう。
「家に居なかった?俺が来なきゃお前死んでただろうが!どの口が言うかマイシスター!」
「で、でも協会の応援が…」
「来る前に俺が来たじゃねぇか。それに応援が来るにしても、この空間制御の外に張られた結界で入ってこれないよ」
「え?けっ、かい?」
ズズズと鼻を啜りながら沙羅は音程が安定しない甲高い声で泣きながら尋ねた。
「そう結界。何処のどいつが張ったかは知らないけど、強力なのが一枚張ってあった。こっちに来る時気づかなかったのか?」
亜紀が訊くと、沙羅は首をブンブンと振った。
「え?じゃあ、フォスニスが張ったのか?」
「フォスニス?」
沙羅が知らない単語が出てきたので、泣いたせいで震えている声で訊く。
「あの魔獣の名前」
亜紀はすぐさま答えた。
沙羅は、何で亜紀が魔獣の名前なんて知ってるんだろ?という顔をしたが、やがて首を横に振った。
「ううん。ありえないよ。だって私があの魔獣がいたビルから半径5キロに空間制御かけたんだもん」
亜紀は頭を抱えた。では、誰が何の目的であの結界を張ったのかがわからない。
しかも、亜紀がソウルイーターの力を使ってようやく穴を開けれたほどの強力な結界を
亜紀が悩んでいる間に、沙羅は大分落ち着いたようだった。
「とにかく、亜紀が無事でよかった……」
沙羅は呟くと、再び顔が崩れそうになった。
「ば、莫迦!自分のこと考えろよ!全く…」
亜紀はそっと沙羅の背中に頭に手を乗せ、グシャグシャと撫で回す
「本当に良かったって思ってるのはこっちだっての!全く、お前昔と全く変わってないなぁ。昔かっら俺に心配ばかりかけて」
「そ、そんなことないよ!亜紀だって私に心配かけてるもん!」
亜紀に頭を上から押さえつけられているため、手を跳ね除けようと暴れて足掻くが亜紀はニヤニヤと笑って押さえつけるばかり。
「ほぉ、お前が迷子になってそれを探しに言ったのは何処の誰だ?お前が隠れて猫拾ってきたとき、親父たちに見つかって、講義してやったのは誰だ?」
「そ、そんな昔の話だよ!」
沙羅はジタバタと暴れながら叫ぶ。
しかし、沙羅が昔の話と言ったとき、不意に亜紀の力が弱まった。
「そうだな、昔の話だ」
「亜紀…?」
「俺は、沙羅に会う機会なんて考えてもいなかったからなぁ……今日、お前に会わなかったら、今もこの先もきっと俺の中での沙羅は昔の沙羅だけだったんだよなぁ」
亜紀は遠い目をしながら、空を見上げる。
良く見ると、白い羽が舞っていることに気付いた。
自分の手のひらを見て、そして憎々しげにそれを握る。
(これから…一緒に暮らせるのか?)
亜紀は自らに問いかける。
自分の中にはソウルイーターが眠る。
もし、その力を抑えきれず、自分が喰われたら、それだけなら良いが、俺の身体を乗っ取り、ソウルイーターが沙羅を喰ったら、この街の人間を全て喰ったら?
そんな、不吉な想像が頭を揺らす。
今此処にいるのも奇跡に近い状態なのだ。この瞬間にもソウルイーターが乗っ取りを開始したら、俺はヤツに勝てるのだろうか?
そんな亜紀の不安に対する答えのつもりか、不安の原因は飄々とこう言った。
《ソレハ、汝次第ダ》
〈何だと?〉
《……………》
最初の答えだけで、後の亜紀の質問には無言で答えるソウルイーターであった。
そして、亜紀が意識を脳内から現実に戻した時、ようやく沙羅が自分の手のひらを握っていることに気が付いた。
自分よりも二回り以上も小さいその手で、亜紀の左手を包むように握っていた。
「亜紀…」
「何だ」
俯きながらかすれるような声で喋る沙羅に、勇気付けるかのように亜紀は喋る。
「亜紀、今度は…亜紀の話す番だよ……私が話したように、亜紀もしっかり私に説明して……」
そうだったと、亜紀は気付いた。
そして、沙羅の言葉に返事をするには十分な言葉を口にした。
「あぁ、大丈夫。ちゃんと話すさ」
大丈夫、の半分は自分に言い聞かせた意味だろう。
俺は何処にも行かない。
この街で、沙羅と暮らす。皆と笑う。
それ以上でもそれ以下でもない。
彼が、力を手に入れた理由はそれだけなのだ。
ただ、それだけ
だがそれだけの意味で亜紀の意志を固めるには十分、いや十二分だった。
「とにかく、帰ろう」
「うん。でも」
亜紀が言うと、沙羅は頷きながらジト目で亜紀を睨んだ。
「な、何だよ?」
「今度は走らないでよ?」
「あぁ、分かった」
そして、無音の世界は、二人の兄妹の笑い声で埋まった。

空間制御の外で、その中の様子を見るものが居た。
「あっちゃあ、やっぱ駄目だったかぁ」
女のようにケラケラ笑ながら空間制御の中を覗く少年が居た。
「まぁ、分かりきっていたことだろ?」
もう一人、低い声で鼻を鳴らす男が居た。
「まぁ、そうなんですけどねぇ」
少年はまだケラケラと笑いながら返事をした。
それに対し男のほうは怒るわけでもなくただ溜め息を一つ吐き。
「これから、“三大魔術連盟さんだいまじゅつれんめい”がどう動くか、それが問題だ」
「えぇ、ソウルイーター復活と、その使い手鈴島亜紀に対する処置。実際のところ、処分ってところが妥当かな?」
「そうでもない。アイツは鈴島と浅沼の血を継いでいるからな…おそらく“協会”が預かるという方針で事が進むだろう」
男は腕を組みながら、空間制御を眺め言う。
「そうでしたねぇ、でも、それで“主連盟しゅれんめい”はともかく、“管理局”がどう動くか…全く鈴島と浅沼の地を継いで尚且つ魂喰らいとは…吐き気がするほどの運命ですね」
少年は今までの態度から一変し鋭く言葉を発した。
まるで、憎しみを吐き出すかのように。
「そう言うな。しかし、何故“機関”はソウルイーターを今になって必要となったのか……しかも鈴島亜紀が、ソウルイーターに打ち勝つことを確信も無く予定の中に入れて…」
「案外、そうでもないですよ?」
「鈴島亜紀がか?」
男が驚いたように言う。
「昔、って言うほど、昔でもないですけど、10年前くらいにソロモン七十二柱の一柱ウィネが消滅したって事件があったじゃないですか」
男も、その事件は覚えていた。
たしか、その場に居合わせた魔術師が何とかウィネを倒した…そんな話であった。
詳しい情報は、シャットダウンされ、ウィネを消滅させた魔術師の名前も伏せられていた、筈だ。
「それが、どう……まさかッ!?」
「そのまさからしいですよぉ?何でも、その場にいたのは鈴島一家だそうで…業界のトップレベルの人はウィネを撃退した魔術師は鈴島夫妻ということにされてますけど、実際はその場にいた鈴島亜紀ではなかったかということが噂されています」
男はまさか、と鼻で笑いたかったが、鈴島亜紀はソウルイーターを司る者。不可能ではない。
「まて、10年前というと鈴島亜紀は6歳ではないのか?ソウルイーターは基本的に10歳から20になる間で魂の契約を交わすという……」
「だから、ソウルイーターじゃなくて、彼自身の力だった。しかし、それが業界にばれたらどうなります?」
少年の意地悪そうな笑みを見て男は苛立ちを覚えながらも、返答をした。
「おそらく、実験動物モルモットにでもされるだろうな」
おそらく、魔力という魔力を搾り取られるだろう。
「しかし、それは幼い鈴島亜紀少年には酷であった…そして、勿論ながら鈴島亜紀の両親は彼の中に魂喰らいの刻印がある事を知っている」
少年はどこか芝居がかった様子で大仰に言う。
「それがばれたら、実験動物ではすまないだろうな……」
男は慣れているのか、少年のふざけた態度を見ても何も言わなかった。
ソウルイーターは魔術業界では伝説の呪いの一つだ。
それを、小さな少年に憑き、その上、彼自身も膨大な魔力を持ち、魔王であるウィネをいともたやすく滅した…
それが、魔術研究者に渡されたらどんな悲惨な眼にあうか、それは業界に携わる物なら容易に想像できる物だった。
「それで鈴島夫妻は幼い亜紀少年に記憶封じの術を施し、離婚。その後鈴島氏は蒸発…」
「それが原因か…」
亜紀の父親は、業界にとって無くては成らない要人であった。
そこで、そのことを知った、彼等の属する“機関”は彼の周辺関係を調べ上げた。
そして、ソウルイーターに行き着き、亜紀のソウルイーターを目覚めさせるという作戦に出た。
「そこで、さらに浅沼氏の死亡。浅沼沙羅と鈴島亜紀の接触。あのフォスニスも“機関”が意図的に用意したもの。そこでおそらく浅沼沙羅は鈴島亜紀の記憶喪失に気付き、彼のこと、彼女のこと全てを話さなくてはいけない状況に陥る」
「まぁ、浅沼沙羅が鈴島亜紀と接触したなら、少しは家柄、魔術関係の話が出るだろうから、鈴島亜紀への説明は必然だな」
「そして、出会った魔獣のせいで、彼の封印術式にひびが入る。そしてそこから魔力がジワリと流れ出す……」
「そこで、突然巨大な魔力が現れれば…」
「互いに共鳴しあい、彼の封印は壊れ、ソウルイーターも目覚めた」
「しかし、ソウルイーターは鈴島亜紀に敗れる」
「鈴島亜紀がソウルイーターを内に留めるという形で、現在の状況を保っている」
男が苦笑いを浮かべた。
「コレが、“機関”の創意ってヤツか」
「僕も、一応はあなたと同じで下っ端ですからよく分からないですけど、まぁそうでしょ?当然」
少年が元どおり、口調を元の砕けた状態に戻したのを確認すると、男は肩をすくめ
「そうだな。とりあえず本部に戻るぞ」
「はいはい」
機関本部への帰還を促した。
少年はヤレヤレという調子で返事をし、即座に口元で何かを呟く。
男も同じように呟くと、二人の身体は瞬時に闇に溶けそして消えた。


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