第三話 現実と非現実



何処から光が溢れ出しているのかは、さっぱり分からないが、この状況が非常に良くないことだけは、彼にも分かっていた。
やがて光はやみ、当たりは赤黒い色をしたドームに包まれた。
「な、何だよ・・・これ?何が起こった、沙羅!とりあえず何処かに隠れるぞ!」
亜紀は隣を見る。しかしそこには沙羅の姿はなかった。
「さ、沙羅?」
その時、亜紀に頭痛が襲い掛かった。
「痛ッ」
頭を金槌で殴られたような、そんな痛みが襲い掛かり、頭を押さえながら蹲る。
(な、何だ、これ…何か、思い出しそうで…)
(それより…沙羅は…)
頭を押さえながら無理やり辺りを見回す。
だが、その見た景色は、今まで見てきた“現実”ではなかった。
赤黒いドームに囲われた空間だけ、全ての景色が停止していた。
文字通り停止、空を飛んで居る飛行機も鳥も、絵に描いたかのようにその場に固まり。
道行く人は、そのまま完璧に動いていない。クレープ屋から煙が出ているが、それも同じ形を保ちながら停止している。
「何だよ…これ!」
頭を押さえながら、ユラリユラリと立ち上がり、その場に立ち尽くす。
「何々だよこれは!!」
亜紀の叫び声は赤黒いドームの中で、虚しく木霊する。
丁度その時だった。世界に変化が訪れたのは。
「な、何だ…“あれ”」
空にドームと同じ色の赤黒い幾何学模様が浮かび上がったのだ。
何というか、ゲームや、オカルト番組で見るような魔法陣。
そこから、何かが落ちる。
ドスン
馬鹿でかい音を響き、その何かが落ちた地点にあったものは全て吹き飛ばされるか、潰された。
車や、電柱。信号機に看板。そして人。
落ちてきた巨大な“あれ”
コウモリのような巨大な黒い翼。熊のような毛深い下半身に、褐色の硬そうな肌をした上半身。そして鬼のような角の生えた頭。
それは、大きく空に向って吠える。まるで自分は此処に居ると宣言するように、大きく低く吠える。
その叫び声だけで、風圧が起きた。木々を薙ぎ倒し、舗装されたアスファルトも、店も、人も全てを吹き飛ばす。その光景を満足そうに見ると、風圧に耐えていた、亜紀を見据える。
「何だ、貴様は?」
重々しい、地から響くような低い巨大な声。
「何故此処で動いている?」
亜紀はその巨大な何かを恐怖に駆られた瞳で見る。
「ん?そうか、貴様、魔術師か?」
(魔術師?)
その降りかかってくる巨大な声に一歩後ずさりしながら逃げ道はないのか捜す。
「答えろ…貴様は魔術師か?」
ドスン、と左足を踏み出す。
(何なんだよこれ!?何かの特撮!?)
ジリリと背後へ足を動かす。いつの間にか頭痛は治まっている。大丈夫恐怖に駆られなければ走れる。
「…答える気はない。そういう意味か?まぁどちらにしても“ここ”で動いている以上は、何か素質はある、か」
巨大なそれは、おもむろに左手を突き出し
「死ね」
今までのような声ではなく静に、しかしそれでも大きな声で唱える
「“魔空砲まくうほう”」
突き出された手から血のような赤黒い光が収束し、一気に放たれる。
その手の先が自分だと気付き、しかし何が起こったのかは理解できずに、亜紀は口を開き、絶叫する。全てを否定したいがために、何もかも分からなくなり、ただ、叫んだ。
「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
しかし、その光線が当たる前に聞き覚えのある声が響き渡る。
「砲を右方に変更!!」
光線が何の前触れもなく右に弾かれた。
続いてもう一つ
「光の矢は闇を貫く!!」
上空から光の矢が飛び、怪物の足を捕らえ、足に大きな風穴を作り、腐ったキャベツの様な緑色の液体を当たりに撒き散らし、その巨大な何かは悲鳴を上げてドスン!と仰向けに倒れた。
(この声は…)
とっさに声が聞こえた上空を見上げると
柳修ヶ丘学園の黒いセーラー服着た少女が降ってきた。
見覚えのある顔、腰よりも下まで伸びる黒い髪。
そこに、突然消えた沙羅の姿があった。
「もぅ!!協会の馬鹿!出現ポイントが全然見当外れじゃない!!」
起こったように、スカートについた埃を落とし、倒れた怪物のほうを睨む。
「さ、沙羅か?」
亜紀は警戒するように尋ねると、沙羅は振り返り、鋭い眼光で亜紀を見る。
やはり、その姿は浅沼沙羅本人だった。
「な……」
その小さな口が開く。
亜紀はその声に全意識を集中させた。もう誰でも良かった。この状況を説明してくれるのならば、それが妹だろうが・・・
しかし、亜紀の望むことを沙羅は一言も口にはしてくれなかった。
「何で!?何で魔術を使わないの!!今、亜紀は殺されかけたのよ!!あれだけの能力チカラを持っていたはずなのに何故!?」
沙羅はただ、意味の分からないことを言うだけだった。
沙羅のその言葉には、怒りと悲しみ、そして失望。三つの感情が秘められている。
しかし、亜紀はその意味を一つも理解できていない。ただ、またしても魔術という単語が出てきて、逆上するだけだった。
「おい、ふざけんなよ!!何だよ魔術って、おとぎ話じゃあるまいし…それよりこれは一体何なんだよ!?あれは一体何だ!?お前は今までどこに行っていた!!」
沙羅の肩を掴み、揺さぶりながら叫ぶ。もう亜紀には何をしていいか分かっていない。ただ、この状況を説明してくれる存在が欲しかった。
その亜紀の表情に、沙羅は怯えたような顔をしていたが、亜紀は気付かず、ギロリと沙羅を睨みつけるのだった。
「ちょ、ちょっと!亜紀!今の状況が分かってないの?あいつが何だか分からないの!?」
揺さぶられながらも視点を亜紀に合わせながら、怯えたように震えた声で訊き返す。
「分からねぇよ!分かるはずがないだろ!!何で俺とお前以外は止まっている!!この状況って何だよ!!」
「ホントに分からないの?あの亜紀が、この状況を理解できないの!?」
「そう言ってんだろ!!とにかく説明してくれ!何でもいいから教えてろよ!!」
そこまで叫ぶと、亜紀は沙羅を揺さぶるのを止め掠れた声で言う。
「……頼む…教えてくれよ……もう、何が何だか分からないんだ…ッ!」
「亜紀……」
沙羅にも、もう何も分からない。
ガランッガラガラ
怪物が立ち上がった。穴の開いた足は、もう塞がっていたが、顔には大量の汗が浮かんでいた。
その鬼のような赤い瞳を更に赤く染め殺すべき獲物を見据える。
「貴様ぁ!!よくも私をコケにしてくれた!絶対に喰い殺してやる!!」
その叫びを聞くと再び沙羅はその怪物に視線を戻す。
「フン。たかが下級魔獣が偉そうに吠えるな!」
右手に光が収束し、その腕を前に突き出す。
「光よ。闇を貫き、光へ導け!!」
手から光で象られた、巨大な矢が飛び出す。
その矢は真っ直ぐに進み、怪物の右肩の少し下の辺りを貫いた。
「ぐがぁああっ!!」
貫かれた傷口から、怪物の身体が段々と白く変色していく。
「魔術名“魔光帰まこうき”闇に属する物を光に返す術。そのままだとお前は光に帰る。ようは死ぬってことよ」
沙羅はつまらなさそうに告げる。
沙羅はその後、魔獣と呼んだ怪物はただ死ぬだけだと思った。しかし、そう上手くもいかなかった。
なぜなら、魔獣が自分の腕に先ほどの光線を撃ったからだ。
バツンッ、と鈍い音が響き上空に魔獣の腕が撥ねる。
「な!?」
それを見た沙羅は驚愕の声をあげ宙を舞う腕に標準を合わせる。その腕を破壊するための矢を放つ。
「光よ、哀れな闇に救済を!!」
再び右手から一本の矢が飛び出す。
その矢が腕を貫くと、腕は白い粉になって消えた。
その隙に魔獣は
「闇へと続きし門よ!我が後方に具現せよ!!」
叫び後ろに出来た、出てきたときと同じ円陣に身体を沈める。
「待ちなさい!!」
右手を突き出し再び矢を放つ。
しかし、間に合わず光の矢は空を裂くだけだった。

その後、沙羅は亜紀を置いて何処かに消えた。いまだに不吉な赤黒いドームは維持されている。
「ちくしょう!……結局何も分からずじまいだ」
徐々に冷静を取り戻した亜紀は辺りを探索することにした。探索といっても、異常に包まれた故郷を見て回るだけだが。
最初に目に入ったのは魔獣が落ちた場所。
そこは巨大なクレーターになっていた。
不幸にもそこにいた人たちは形が分からないくらいにペチャンコになっていた。吹き飛び、お店のショーウインドウに当たった人は空中で止まり、割れたガラスもそこで静止していた。
よくよく見ると被害は相当なものだった。その状況を見るたび亜紀は奥歯が砕けるくらいに噛み締め何も出来ずに見るだけだった。
そして、あるところで亜紀は足を止めた。
沙羅と座っていたベンチから約20メートル離れた小さな古本屋。
そこにベンチを見続ける少年少女8人の姿。
「この馬鹿共…やっぱりつけてやがった…」
やっぱりというのは勿論最初から気づいていた。
「まったく…いつもだったら蹴り飛ばしてやりたいところだが…今日は勘弁しといてやるよ」
本当はその間抜けな顔を蹴り飛ばしてやりたかった。しかし今はそれよりも無事であったことに感謝したかったのだ。
そして、踵を返して他のところを見に行った。その時、誰か動いていた気がしたが、亜紀は気のせいだと思い、そのまま去っていた。

元のベンチまで戻ると、同時に沙羅も上空から落ちてきた。
「もうこの辺りには魔力の欠片もない。多分傷を癒して再び襲撃してくるつもりね」
スカートの裾を整えながら辺りを見回す。亜紀はその様子を見て
「沙羅…いい加減話せよ。今起こっている状況、俺のこと、それとお前のこと。知っていることを全て吐け」
沙羅の顔を睨みつけると、沙羅はそれに怯えたように肩を震わせ
「わ、分かったわよ。話す、話すから。そんなに怖い顔しないで」
と小さく言う。
「でも、もう少しだけ待って。この空間を直すのと、話す場も必要だから」
「分かった。それくらいはいい」
亜紀は静に目を閉じると
「で、これ、どうやって直すんだ?」
思いついたように尋ねた。
「修復の魔術を使ってもとの状態に戻すだけよ」
そう言いながら、片手に下げていたカバンから金色の懐中時計を取り出した。
時計を開き時間を確認すると、時計を閉じて空中に放り投げた。
「修復せよ。範囲は四方三里」
時計が光りだすのと同時に、ブゥンと辺りが淡い緑色に光り始め、砕けたコンクリートや、ガラス。傷ついた人たちが元の位置へと戻っていった。
つぶれた人も元通りに戻り、クレーターとなった地面も修復された。
「修復終了」
落ちてくる時計をキャッチし呟く。
「空間維持解除」
そしてもう一つ告げると同時に赤黒いドームは消えてなくなった。
時が再び動き始めた。
そこにいた人たちは何事もなかったように歩き始める。
「非制御空間との誤差13分42秒何とかなるわね」
「誤差13分42秒?」
亜紀が尋ねると
「それも含めて全部説明するから・・・とりあえず、家に帰ろ?」
時計を眺めて、やがてカバンの中に仕舞いこむと、あの空間に居たときとは違い、いつもの明るい表情に戻っていた
「あぁ…それは良いが…」
「何?」
少し押し黙った後亜紀は小さく耳打つ。
「走れ」
へ、と間抜けな声を上げていたがお構いなし。沙羅の手を掴み全速力でそこから離脱した。
理由は
「「「逃げた!!?」」」
もちろん亜紀をつけていた8人を撒くためだった。
「ちょ、亜紀!?何、どうしたの!?」
そのまま、走ること10数分。亜紀は、沙羅の絶叫を無視して、商店街を走り抜けた。

下唇を痛いほど噛んで…


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