暗く冷たい洞窟の中。岩から滴る水が不気味にピチャンと音を立てる。 そんな誰も来ない洞窟。近隣の村からは「魔の洞窟」とも呼ばれ誰も近づこうとはしない。 しかしその洞窟の中には小さな光があった。小さな、しかし明るい、タバコの光。そのタバコを吸っているのは二十代前半の男。 男は水溜りを踏みしめながら、歌うように呟く。 「この世界にはどんな望みでも叶えてくれる神がいる…か…」 大きく煙を吐きながら男は呟く。 「何時だったか、誰かがそう言っていたな…」 しばらく歩いていると大きな鉄の扉があった。重くて頑丈そうな扉。 男はタバコを吐き捨ててノブに手を当てようとするが ガコンッ 洞窟内に音が鳴り響き、扉がひとりでに開く。 男は怪訝そうに扉を見るが、直ぐに歩き始める。 そう、この世界では勝手に扉が開いても別に珍しくもないのだ。この世界には魔法があるのだから。 男が怪訝に思ったのは誰が何のためにこんな場所に魔法を掛けたのかだ。誰も来る事の無いこんな洞窟に。 ポケットから新しいタバコを引き抜き、火を点ける。 闇と静寂が支配する洞窟…男はこの洞窟にそんな感想を持つ そんなことを思っていると足場が急に変わった。 おやと男が思うと、そこは今までの水溜りの地面から、足場のしっかりした陸地に変わっていた。 そして辺りから水がどんどん引いていくのを感じる。 『貴方…何者?』 何処からともなくどこか平淡な、しかし可愛らしい少女の声が聞こえてくる。 『何故貴方はここに居る?何故貴方に扉は開いた?貴方にどんな望がある?』 男は辺りを見回す。念のため腰に携えた剣に手を掛けておく。 『貴方に私を見ることは出来ない』 『その剣で、私を切ることも出来ない』 ここに来てようやく男は口を開いた。しかし手は剣に掛けておいた状態で 「お前は何だ?俺はここに用がある訳でもない。ただ風に従って来ただけだ」 『私は…何者でもない。ここに居るだけ。来る者の望みを叶えるだけの存在』 「ってことは…お前が神か?」 『神?あぁ、そう呼ぶ者もいる。それで、貴方の望は何だ?』 さも、くだらないと言った感じに言うとさっきと同じ質問を繰り返す 「だから、望なんてものは持っていないよ。最初に言ったはず、俺は特に用はないって」 『なら何故此処に来た?望みも無いのに此処にくるなど馬鹿な…まず望みがなければ真実の扉は開かない』 『望みが無いのならば立ち去れ。用の無い者に此処に居る資格はない』 冷たく言い放つような言葉だった。男はそれを何も言わずに聞き少し思案した後口を開く 「だったら……お前の望みは何だ?俺には叶えて欲しい程の望みなんてものは無い…だけど俺があんたの望みを聞いてそれを叶えてあげることはできるだろう?」 『貴方…何を言っているの?』 その時初めて平淡な声から感情のこもった声に変わった。困惑という名の感情だが 「何を言っているって…ただアンタの望は何かって聞いているだけだよ。それが何?」 『わ…私に望みを叶える力はあるが、自分の望み等持ったことも考えたことも無い』 「じゃあ、今考えろ。せっかく来たんだ……」 男は投げやりと言った感じに言葉を投げると、新しい煙草を吸い始めた。 『……………』 困ったのか、考えているのかは分からないが声の主は黙りこくってしまった。 「……何か…決まった?」 しばらくして、男は何処に居るのかもわからない声の主に尋ねる。 『………や…りあなた……みを………』 静かな所なのに、それより静かな声で、声の主は言う。男は新しいタバコを吸いながら 「何?」 『わ、私はやはり貴方の望みを叶えたい。それが私の望みだ』 「それじゃ、本末転倒なんだけどなぁ」 大きく煙を吐き捨てながら呟く 「何か無いの?」 『無い』 「そっか」 男は昔訊かれた事を思い出す。 だったら俺は… 『望みは決まったか?』 声が尋ねる 「そうだなぁ・・・な、お前、ここから出たくはないか?」 『どういう意味だ?』 声の主は意味が分かっていない様子 「だから、ここから外へ出て俺と一緒にこの世界を巡らないか?」 まだ分かっていない 男はタバコを吸いながら、言葉を選び 「俺と一緒に地獄の果てまでついてきてくれないか?」 『それが、貴方の望みか?』 「別に、お前が決めることだ。俺に決定権はない。お前が俺と一緒に来てくれるのだったら叶えてくれ。お前が嫌なら、嫌と言えばいい。 俺は引きとめもしないし未練がましく何度もここに来たりもしない。もうお前の目の前に現れることはない」 タバコを吐き捨て足の裏で踏み潰す。 「お前が俺とではなく、違う別の誰か、それか一人でこの世界を見たいのだったら、俺の望みを変更する。望みは、お前の解放って所かな?」 「あとは、お前の決めることだ。俺は、文句は言わないさ」 そこまで言うと男は静に黙った。 10分程経った。男はタバコを吸いながら返事を待ち続けていた。 そんな静寂を少女の声が破った。 『一つ、尋ねてもいいか?』 何があったのか声は震えていた。そんな声を静かに聴きながら 「いいぞ」 と男は一言で了解する。 『たとえ望みを叶え、私が貴方について行っても。ある程度の魔法は使えてもここまで便利なことは出来ない。それでもいいのか?』 「別に、魔法が使えるからとかそういう理由で頼んでんじゃないし…」 煙を吐き出しながら返答する。 『私は、化け物だぞ?』 「それが?」 『怖くは、ないのか?』 「別に、お前が超巨大凶暴ドラゴンでも俺は怖がらないし驚きもしないよ」 いや、少しは驚くかもな。と男は笑いながら訂正した 声の主は思う 生まれてからどれだけたったかは忘れた。しかし生まれたときからこの暗闇の洞窟だ。 外の世界を見てみたい。そこにはどんな素晴らしい世界があるのだろうか、この目で確かめてみたい。 この男は今までに来た人間とは違う何かがある。今までの人間は自分の私利私欲のために私を利用した。 しかしこの男は私の望みを訊いてきた。この男と一緒に世界を歩んでみたい。 そして声の主の下した結論は 『分かった…望みを叶えよう』 「いいんだな?後悔しないな?俺と一緒に歩いて行くと自分で決めたんだな?」 男が問う 「この先何があっても俺はお前の安全は保障できない。最終確認だ。後悔しないな?」 『えぇ。これは私の決めたこと。私が持った最初の望み』 「じゃあ…決定だ」 男が力強く言う。 『姿を現したほうがいいか?』 「そうだな」 周りの闇が一つへと集まっていく。最初はもやもやした物だったが、段々と形を形成していく 腰よりも更に下まで伸びた漆黒の髪。とても白い肌。二つの金色に光る瞳。整った顔立ち。丈の長い袖の無いワンピースを着た可愛らしい、黒い少女だった それと同時に辺りに光が差し込み男の顔も照らし出す。 肩の辺りまで伸びた不揃いな銀髪、少女と同じ月のような黄金の瞳。そしてボロボロに汚れた漆黒のロングコートを身に纏う男だった。 「初めまして…だな」 男はコートから煙草を取り出し、火を点けながら少女の顔を見る。 「お前…名前はあるか?」 「名前?」 「そう。名前だ」 「・・・・・・無い」 少女は少し黙った後に答えた。それを聞くと男は少し笑い 「そうか・・・じゃあ、俺がつけてやる。そうだな…望みを叶える神だから、“ノゾミ”でどうだ?」 男はやはり笑いながら、そう言った。 「単純」少女が呟くと、男は顔を覗き込みながら「嫌なのか?」と尋ねる。 「いや、単純だが気に入った。貴方の名は?」 笑いながら男と目を合わせる。 「俺か?俺にも名前は無いんだ。お前が、つけてくれるか?」 とニコリと笑みを返す。それにノゾミは面食らったように 「わ、私がか?」 「うん。駄目か?」 「分かった。私がつければいいのだな?貴方の名前を」 「ああ。お前がつけてくれるのだったら、俺はどんな名前でも文句は言わないよ」 けらけらと笑いながら少女、ノゾミの顔を見る 「なら、貴方は望みが無い、と答えた。なので、望み零。“ゼロ”でどうだ?」 「ゼロ…か……うん。気に入った。じゃあ今日から俺はゼロ。お前はノゾミだ」 ニッコリ笑いながらノゾミと目を合わす。それにノゾミは笑顔で答える。 ゼロは思う。 この世界で俺は一人で生きるしかないのかと思っていた。 誰も俺を必要とせず、いつか朽ちる身体を見て生きていくだけかと思った。 だが、この少女はどうだ? 俺の望みを叶えるといった少女は? 俺の望みを叶えた。しかしそれは彼女が望んだことでもあると言った。 ならば俺は彼女を死ぬまで守ろう。 俺と一緒に歩んでくれる彼女は俺が守ろう。 だが、忘れるな。彼女が望んで俺についてくると言ったのは本心じゃないかも知れない。 それを俺は知る術を持たない。 だが、嘘でも俺はその言葉を信じよう。 この世界で唯一俺と一緒に歩んでくれる彼女を絶対に守っていこう。 そしてゼロとノゾミの旅は始まった。 ○=目次へ |