第三話 そして、旅は始まりを告げた



レイウァンの妻、エルムも、ランに負けず劣らず、料理の腕は達者であった。
ランは美食家ではないが、味付けや塩加減。スパイス一つ一つ全ての味が分かる。
だからこそいえる。エルムが地球にいて料理店でも開いたら、千客万来、行列御礼、億万長者など夢ではない。というより、この世界でもそうすれば確実に儲かるはずだが…
そんなこんなで、ランはエルムの朝食を絶賛し、時間が在れば教えを請いたいまで言って、朝食は終了を告げた。

その後、レイウァンが居間で、今後について話を始めた。
「とりあえずだが、君は元の世界に帰りたいのだろう?」
「まぁ…願わくば帰りたいね、正直帰る方法を探しに出たいな」
レイウァンは、ランの表情を見て溜め息をつく。
「君の世界は平和か?」
突然のレイウァンの問い。
ランはキョトンとしながら、
「…うぅん。世界が平和か?といわれれば、正直自信を持って頷けない。犯罪は絶えないし、戦争も在る。でも、俺が居た国は少なくとも平和だったな」
「この世界も、犯罪は絶えないし、戦争も今尚続いている。それに、村や街の外は野党や“魔物”に溢れている」
「魔物?」
ゲームや漫画等ではお約束な物がこの世界に存在するのだろうか?まぁ異世界だから、居るのかもしれない、とかランは思ったが、訊かずには居られないだろう。
「魔物、人を襲う獣の総称だ」
ランはつい最近プレイしたばかりのゲームに出てきた敵を思い浮かべた。
「うぅん。大体想像できた」
ランが言うと、レイウァンは「そうか」と頷きながら、何故かほっとしたような顔を浮かべた。
何も分からない人に、何かを教えるのは骨が折れるからだろうか?
ランは適当にそう思い、先を促す。
「魔物は人を襲う。だから君も帰る方法を探すために旅をするなら、いずれは嫌でも遭遇するだろう。だが、私も君のそばに居ることはできない。だから、魔物を倒す“能力”得てもらいたい」
「“能力”?」
「昨日、君に見せた物があったろう?魔法でも見せろと。そのとき見せたような能力を取得してもらいたい」
「でも、自分で言うのもなんだけど、俺も結構強いぜ?」
「腕に自慢があるから、という理由では魔物は倒せない。別に、君の力を疑っているわけではないが、そう簡単には倒せない」
ランは、それに「むぅ」と唸り、とりあえず口を開く。
「俺も、その魔物がどれだけ凶暴か、とかは知らないから、一概に強いとかは言っちゃいけねぇんだろうなぁ…正直実際に戦ってみないと分からんし……まぁ此処はアンタの言うとおりにするよ」
レイウァンが頷く。
「で?その能力ってのは、どうやって手に入れるんだ?まさか、何年もかかってようやく習得。ってのはないだろ?」
「完全に使いこなすには確かに数年くらいは要するだろうが、魔物を倒す程度ならば、大して時間は掛からない。一日二日で習得できる」
「通信講座みたいだな。ま、それで?今からでも習得できるのか?」
ランは身を乗り出して訊く。一日二日…正直ランは一分一秒でも早くもとの世界に帰りたいわけだが、急がば回れ。その能力というものが使えないことで、旅をすることすら出来ないのならば、喜んでその能力を習得しよう。
だから、今すぐにでも習得したいのだ。
しかし、ランの希望は、レイウァンの済まなそうな表情を見る限り無理そうである。
「今此処では無理だ。隣町のヨウスに居る、私の師匠でないと無理だ。私は確かにその能力を使えるが、教える事は出来ないからな」
ランはその言葉に肩を落とすこともなく、ただ「そっか」と言ってケラケラと笑った。
「落ち込まないのか?」
とレイウァンが驚いた調子で訊くと
「だって、落ち込んでその能力が手に入るわけじゃないじゃん」
あっけからんと笑うランにレイウァンは苦笑をし、前向きだなと感想を述べた。
「じゃあ、そのヨウス?だっけか、そこに今から往くことは可能なわけだな?」
「うむ。それくらいはな。どの道私も今日はその街ではないが、その街の先に用があるから、街まで送ろう」
「ありがと。じゃあお言葉に甘えるよ」
ランがお礼を言うと、レイウァンは大したことじゃないと、言うのであった。

しばらくして、ランがレイウァン邸を出発することになった。
娘のリンが、不服そうにランの服の裾を引っ張って引き止めるが、エルムとレイウァンからやめなさいと注意されて、しゅんとなっていた。
ランはそのリンの頭を撫でてやる。リンが涙を浮かべているのを見て、ランは髪を束ね上げている結い紐を解くと、その紐をリンの髪の毛に結ぶ。
ランがその紐をあげると言うと、リンは喜び、お兄ちゃんありがとうと言うのだ。
その言葉にランは笑みを浮かべ、玄関に干してあった自分の靴を見つけ、それに履き替えた。唯一目だった傷もなく濡れていただけの物だったので、エルムが気を利かせ干しておいてくれたらしい。
干し終わった後特有の乾燥した靴の履き心地を味わいながら地を踏む。
「じゃあ、短い間でしたけど、お世話になりました」
ランが頭を下げると、エルムがコチラこそ美味しい料理を作ってくれてありがとう。と頭を下げた。
リンが「お兄ちゃん!また来てね!」と言い、ランも絶対に来るよと笑いかけた。
レイウァンが少し離れたところで呼んでいる。
ランはそれに返事をして、その場から足を動かした。
リンがまた来てねと連呼し続ける。
その叫び声の中で、エルムが言う。
「貴方の旅に、神の祝福がありますように」
何処までも澄んでいるその声は、空に浮かんだ白月のように美しかった。
ランは振り向こうか、と思ったが。直ぐにやめた。
今振り向いたら、未練が残りそうだったから。たった数日しか滞在しなかったが、未練は直ぐ残る。
後ろ髪を引かれるような思いを、溜め息にして吐き捨てる。
ランはただ前を見る。
目の前には地球と同じものかは知らないが、太陽が光り輝いていた。

それが、何時戻れるか分からない、旅の始まりの景色であった。


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