第二話 憎悪と話



結局、男にはもう少し休めといわれたランは、再び仮眠をとる事にした。ついでに言うと男の名前はレイウァンと言うそうだ。
そして、辺りが少し暗くなり始めた頃、目が覚めて、身体を起こすと、隣にレイウァンが座っていた。
「起きたか?」
レイウァンは静かに言う。
ランはそれに頷いて返し、ベッドから飛び降りた。
服は、濡れていて更に所々切れていた為、レイウァンから貰った服を着ている。
「もう、大丈夫みたい…ありがとな。見ず知らずの俺を助けてくれて」
「まぁ、それも運命さ。それに、困っている人は助けるのが人というものだ」
レイウァンは笑いながら、ランを見る。
「ありがと…よし!助けてくれたお礼だ!今日は飯、俺が作るよ!」
それを聞いたレイウァンは目を見開いて、驚いた…
「き、君が作るのか?」
どういう意味だ、と心底思いながら不機嫌そうにランは
「どういう意味だ」
結局言った。
「何だぁ?俺が料理も出来ない駄目人間にでも見えたか?」
「そ、そこまでは言っていないが…」
「こう見えても、家では飯は全部俺が作っていたんだ。それなりの料理だったら作れるよ」
レイウァンは心底驚いたように眼を見開いた後
「じゃあ、お言葉に甘えようか」
苦笑いを浮かべながらレイウァンは言った。
その苦笑がランは気に入らず、ムスッとしたまま、台所へと向うのであった。

そして台所へと向ったランは、レイウァンの妻である、エルムにエプロンを借りると、食材の保存場所を見る。
何をどれだけ使っても良いと言われたので、ランは遠慮なく野菜をそこから取り出す。
何がどういう味かさっぱり分からないため、味見を怠らず、一人忙しなく動いていた。
(えぇっと、塩は……おっとこれだ)
料理を始めて5分ほどで、ランはこの家の台所に何が置いてあるかを把握し、使い難い包丁等の扱い方も直ぐに慣れ始めていた。
「全く、16年も包丁握ってると、便利なもんだなぁ」
ランは一人上の空で呟くが、そのときも勿論手を休めることは無い。
「そろそろ、海老みたいなヤツが焼きあがるかなぁ?」
ランはオーブンらしき所に入れた、海老?の塩釜焼きの様子を見る。
うぅん、上出来。
そんなこんなで、オーブンから海老を引き抜く。
「上出来、上出来。よし!後はスープに、前菜にぃ、デザートにぃ♪」
ランはニコニコしながら手を動かし続ける。
長い髪が包丁を動かすたびに揺れて、さらに身体も華奢なため、背後から見たら女とも取れる。
「――あのぉ、何か手伝いましょうか?」
エルムが、台所の様子を見に来たようだが、ランはスープの味見をしながら言う。
「む?いいですよ。まぁ、座っといてくださいって。豪華絢爛箕蒼印の料理フルコースがもう直ぐ出来上がりますんで」
スープに掛かる火を弱めながら、さらに次の作業に取り掛かっていた。
しかしと、ランは不意に考える。
右隣を見ると、そこにはさっき海老を引き抜いたオーブンらしき物が鎮座する。
外観は石釜のようにも見えるが、タイマーも付いているし、使い方は地球のそれと似たり寄ったりであった。
「この世界でも、文明が同じように発展しているのか?」
ランは呟きながらデザートの自家製アイスにチョコをかけて、食料保存庫に入れる。
これも地球の冷蔵庫によく似た構造であった。
異世界と言うと、さっきレイウァンが自分に見せた魔法のようなものが大量に有り、化学などは発展していない世界を思い浮かべていたランだが、実際はそうでもないのか?と考えを改め始めていた。
「…よし!出来たぞぉ」
ランは考え事をしながらも、己が作り盛り付けた料理に眼をやる。
この間料理雑誌で見た料理に似せて作った料理だ。
ランはそれを一つ一つ丁寧に持ち上げ、御世話になっているレイウァン一家の許へと運ぶ。
何時何処でだって、ランが思うことは同じだ。
料理を作り、それを食べて喜んでくれる人が居る。
それ以上の幸せは無い。
ただ、それだけの理由で、ランは料理を作るのだ。
ランが住んでいた家は、下宿所も兼ねていて、自分が通う学校の友達。今回旅行に出かけようと言った連中も例外なく、我が家に住んでいた。
そしてその広い家で、下宿する奴等には必ず一つの仕事が分担されており、ランの役割が“料理”なのだ。
そのため、幼き頃から役80人ほどの下宿者の料理を作り上げてきたその腕は、プロの料理人も顔負けするくらいにまで成ったのだ。
そして、その腕を異世界の住人に見てもらう。
それだけで、料理を作る意味があったことを、ランは自分でしみじみと実感しながら、運び終わった料理に眼を向ける。
色とりどりに使われた食材は、メインディッシュの海老らしきもの以外は食料保存庫と呼ばれる冷蔵庫のような存在にあった残り物だ。
その余り物を使ったことにも気付かない、レイウァン家族一行は目を見開きながら、自分達が助けた少年の作り上げた料理に息を呑む。
「……こんなに、食材はあったか?」
レイウァンが驚きながら声を出すと、
「スゴーい!お兄ちゃんすごいねぇ!」
レイウァンの娘の少女、リンが素直に褒め言葉を発する。
「あらあら、凄いわねぇ」
エルムは、頬に手を当ててその料理に唖然とするばかりであった。
ランは、メインディッシュ以外は残り物で作ったと言うと、レイウァンは眼をこれ以上なく見開き驚いた。
「……それより、冷める前に食ってくれよ」
ランのその一言で、レイウァン一家の夕食が始まった。

晩御飯は大成功に終わった。
異世界人の舌にも、ランの作る料理は合うようで、ランはニコニコしたまま、食器の片付けをしたという。
料理の中でも、やはりと言うか何と言うか、海老らしきものの塩釜が一番の人気であった事は言うまでもない。

次の日の朝、ランは爽やかな小鳥のさえずりで目が覚めた。
まるで漫画みたいだと、眼を擦りながらランは思うが、実際異世界に飛んできている時点で、漫画のような話なのだ。これ以上驚くこともなければ、漫画みたいだと思うこともないだろうと一人で、考えていた。
戸を叩く音が聞こえると、レイウァンが部屋に入ってきた。
「起きるのは早いのだな」
「まぁ、それなりに……元の世界では朝早くに起きて、80人くらいの朝飯から昼食まで作ってたからな。朝は幾ら時間が有っても足りない……」
欠伸を掻き、伸びをする。
体が予想以上に鈍っていることが分かったが、どうしようもない為我慢する。
それよりも深刻なのは……
「…髪の毛が痛んでる……」
涙が出そうだったが、ランはそれを堪えて手櫛で髪の毛を梳く。
男のくせに髪ぐらいで何だ!
という者がいるかも知れないが、ランにはそんなことを言う奴等のほうが信じられなかった。
幼き頃よりランは長い髪に憧れ、手入れを怠らず此処まで伸ばしてきた。
そのためか、髪の毛はどんな人よりも自慢できると自負できるほどだ。
そんな髪を指に巻きつけながら一言
「……枝毛だ…」
盛大に溜め息を吐く。
自分の荷物はどうやら此処には辿り着いていないようだ。
この世界の違う海を漂流しているのか、はたまた、地球で炎上した豪華客船と共に海の藻屑と消えたか…
どうあっても溜め息は絶えない。
「……冷静に考えると、物凄いことだよなぁ?」
ランが一人呟くと、レイウァンは頭の上に?を浮かべる。
「何がだ?」
ランはベッドから降りながら
「俺、此処に来る前、船の上に居たんだ。別に家が船とかじゃなくて、旅行で船に乗ってたんだ」
サイドテーブルに置いてある結い紐を手に取り、髪の毛を束ね上げる。
「で、夜に甲板に出たんだ。そしたら、誰かの叫び声…たぶん俺の友達だと思うんだけどな?そいつの叫び声が聞こえてそっちを向いたら、何でか知らないけどな、甲冑を着て、馬鹿でかい剣を構えたヤツが俺の頭に剣を振り下ろそうとしてたんだよ。そこから、記憶が途切れて、おっさんに浜辺で拾われたって訳」
自分で言って後悔した。馬鹿馬鹿しいにも程がある。これではまるで漫画みたいではないか。
いや、さっき自分で漫画みたいだと思ったばかりではないか。冷静になれ。
ランは首を振り、レイウァンの様子を伺う。
レイウァンは無表情になりランを見つめる。
その様子にランは、やはりこの世界でもこんな事は有り得ないのだろうかと落ち込んだ。
しかし、もう一度レイウァンの瞳を見る。
その瞳を見てランは驚く。
その無の瞳に、僅かに恐怖を浮かべている。そんな、不安に満ちた瞳であった。
「ど、どうした?」
そのランの問いにも答えずに、レイウァンは近くにあった机を占拠する大量の書物の中から一つを取り出す。
その本はボロボロに汚れていて、何度も読み直した形跡があった。
その本のとあるページを開き、ランに向ってみせる。
「……君が見た甲冑とは、これか?」
レイウァンが見せたページには一つ、いや一人の甲冑の絵が載っていた。
薄汚れた銀板を体中に貼り付け、頭からは鎧と違って一点の汚れもない白銀の毛が流れるように腰まで伝っている。
左腕には、身体に不相応の巨大な白銀の剣が持たれていた。
周りには大量の死体が転がっている。
そんな、見るもの全てに恐怖を植えつけるような絵であった。
ランは背筋に氷が垂らされたかと思うほどの寒気と、どうしようもない吐き気を覚えた。
畏怖の象徴
絶対的恐怖
そんな後ろ向きなイメージが絶えず続く。
しかし、その存在は
「……俺が見たもので間違いない…」
脳裏からあのときの様子が戻ってくる。
金属がぶつかり合う、そんな不快な金属音のような叫び声を上げながら、
ヤツは船を叩き切っていたのだ。
何故思い出せなかったのかなんて直ぐに理解できた。
あんな物を思い出すくらいなら、封じたほうがマシだったのだ。
「…そうか」
レイウァンはランの返事を聞くと、その本を机に置き
「まぁ、とりあえず朝食だ。それから君のこれからについて決めよう」
「…おい、待てよ!今の絵のヤツは一体――」
「すまないが、ヤツのことは少し置いといてくれないか?私にも分からないことぐらい有るんだ」
レイウァンはランの言葉に被せる様に声を発する。
その言葉は、何処までも冷え切っていて、ランはそのレイウァンを見るだけで恐怖を覚えるのであった。
その言葉に込められて意味は何なのだろう。
ランは思う。
10年ほど前だろうか。ランは今のレイウァンが発した言葉と同じような、冷え切った言葉を浴びせられたことがあった。
そのときは、まだ6歳であったランは訳も分からず、ただ相手が怒っているのだと思い、泣きながら謝っていた。
しかし、今ならその冷え切った意味が分かる気がする。
何処までも深く、それでいて純粋な憎悪。
そんな意味を、心のどこかでランは感じていた。
憎悪、憎悪、憎悪、憎悪……
全てを憎み、全てを否定する。
そんな、冷たさ。
レイウァンの抱いた気持ちがそうなのか、どうなのかは知らない。
寧ろ知りたくないくらいだ。
もし本当にその言葉の意味が、ランに浴びせられた憎しみと同じだったら、
ランはその全てを受け止めることは出来ない。
彼の中に潜む純粋な憎悪。
それをランは受け入れることが出来ないと、分かった。
だから、ランは静かにその男の瞳を見て
黙り、首を縦に振ったのだ。
「さぁ、朝食だ。行こう」
レイウァンはそんな他愛もない一言を口にする。
さっきのように冷え切った言葉ではなく、出会ったときと変わらない、物凄く低くそれかつ人を安心させるような、そんな声に戻っていた。
「うん。行こう」
ランは肯定する言葉をレイウァンの言葉の後に続ける。

ランは気付いていない。
あの鎧が何を意味するか。
彼のあの冷え切った言葉に込められた憎悪が何に向けられたか。
何故そう思ったのか。
理解することが出来なかった。
ただ、自分のことを考えることが精一杯。
この先また再び、地球の大地を
何処に居るかもわからない、大事な友達と
歩めるのかを
それだけを、考えていた。


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