第六話 夜



その夜のこと。
「つまり、俺は生まれつき…まぁどうしてだかは知らないけど、魂の根元から魂喰らいの呪いがかけられてる。その呪いが10年前のあの日に目覚めた。それを見た親父たちはお前の言うとおり、俺を危険と思い、離婚。その時沙羅を連れて行ったのは、お前の魔力のことも在るだろうが、ぶっちゃけ俺の方が原因だろ。魂喰らいなんて伝説級の呪い、俺みたいな餓鬼から何時暴走するかなんて分からないしな。親父が出て行ったのは、まぁ俺を恐れたか、どうなのか……皆目見当もつかないって訳」
亜紀が沙羅と再会した時ときよりも、どこかふっきれた態度で説明する。
「まぁ、それも俺にはよく分かっていないから、推測の域でしかないけどな」
「それって、本当の話?」
話を聞いた沙羅が、疑いの眼を浮かべているのに気付くと、亜紀は盛大に溜め息を吐いた。
「俺だってあんまり信じたくないけど、本当。本当とかいてマジと読むほどに大マジだ。ちなみにお前の記憶が欠けてるっぽいのは、俺の記憶封じのときの副作用みたいなもんだ」
「うぅ、にわかに信じがたいけど、事実っぽいね。亜紀の中に、二つ魔力が渦巻いてるもの」
沙羅は納得のいかないというような表情を浮かべながらも、今日見た光景を思い出したのか、渋々頷いた。
「俺の中に、魔力が二つあるの分かるのか?」
亜紀がきょとんとした表情で訊くと
「まぁそりゃ、魔力にも気配っていうか、流れってのがあるからね。それを読み取るのが、どの流派でもやる魔術の基礎の一つだから、亜紀だって読めるでしょ?」
「まぁ…な」
亜紀は頭を掻きながら頷く。
「それより、その魔力が魂喰らいってのが、信じられないのよ。そんな伝説みたいな物が実在してることがありえないのよ」
沙羅の言うことに苦笑する。
確かに、自分の中に宿るソウルイーターはありえないものなのだから。それを認識している自分のほうがやはりおかしいのである。
「ま、それでも、亜紀が私にこの状況で嘘吐くって方が信じられないわ。だから私は、亜紀を信じる」
そう言った、沙羅の目は、強い意思に溢れていた。自分の混沌とした瞳ではない。
どうなのだろう?
亜紀は、一人、思う。
自分の目は今まで混沌としていたが、今は何か変わったのだろうか?
「どうしたの?」
沙羅が尋ねる。
「ん?何でもねぇよ」
亜紀は考えていたことを思考の隅に追いやる。
別に、そんな事はどうでもいいことだ。
それよりも
「晩飯どうするか…」
現在時刻6時47分。今から夕食を作るのはちょっとしんどいなと、亜紀は思う。
「出前でもとるか……」
生憎、今日は買い物に行っていない。残り物も特にないから冷蔵庫も殆ど空っぽ。
「え?勿体無くない?」
沙羅が訊くが、疲れている今にその言葉はキツイ。
「大丈夫、大丈夫。それくらいの蓄えはあるって」
「そぉ?」
「あぁ」
沙羅の問いに短く答えると、沙羅は満面の笑みを浮かべ
「じゃあ、亜紀の奢りで!」
と言う。
「………はいはい、分かりましたよ」
軽くジト目で睨んでから、そう言うと、沙羅は両手を挙げて
「わーい!亜紀の奢りだー!!」
と叫んでいる。
「わーい!わーってひゃうッ!?」
何だ今の叫びは、亜紀が後を振り向こうとすると、悲鳴を上げた沙羅が自分の腰に抱きついてきた。
「ぬをぉ!!」
「きゃああっ!!亜紀!何かいる!何か居るってばぁああっ!!」
「何かって何ですよ!?えぇい!離れんかアホ妹!!」
ぎゃあぎゃあと叫びあいようやく沙羅を腰から引き剥がすと亜紀はさっき自分がいたテーブルを見た。
その下から、ぬっと姿を現したのは…
「……あぁルリじゃん。何をそんなに驚くんだよ」
みゃあ、と鳴く大きな鈴を首からぶら下げた黒猫が一匹。
「へ?ルリ?え?猫?」
「?が多い奴だなぁ。お前が拾ってきた猫だろうが」
「……え?……あ…あぁああ!!!思い出した!!」
亜紀は溜め息を一つ吐き、ルリの元へ行きひょいと持ち上げる。
ルリは大人しく亜紀の腕の中に納まり、にゃあと小さく鳴きグルグルとのどを鳴らした。
「あ…」
ふと、ルリの背中を撫でている手を止め亜紀が呟いた。
「どうしたの?」
沙羅がルリの尻尾を目で追いながら訊いた。
「ルリの餌も無いや」
その瞬間、ルリの目がキュピーンと光った。
スルリと沙羅の腕から飛び出すと、亜紀の顔に密着し、思いっきり爪を立てて亜紀の顔を切り裂いた。
「は?ぎゃあああああああああああああああああああああぁっ!!!」
亜紀の絶叫とともに、顔から鮮血が散る。
「きゃあああああ!?亜紀ぃ!?」
二人が絶叫を奏でている間に、ルリはするりと二人の間を抜け元居た机の上に乗っかり、すまし顔で二人の様子を見ていた。
「ル、ルリ…お前、確かに餌が無いことは謝るけど、わざわざ、引っ掻くことねぇだろ!!」
「にゃうん」
「クソ、猫の分際でぇえ!!」
ガァっと火を噴くような勢いで亜紀は怒るが、猫に言ったところで無駄だということを再確認すると、溜め息をついて、受話器をとった。
「亜紀、大丈夫?」
沙羅が心配そうに尋ねると
「あぁ、大丈夫。何時もの事だ、傷も直ぐに治るから心配せんでいい。ルリは普段は大人しいけど、事、飯に関しては凶暴だから、沙羅も気をつけろよ」
「う、うん」
沙羅がルリを見ながら頷くと、亜紀は慣れた手つきで廊下においてある古風な黒電話のダイヤルを回す。
「………ぁあ、矢井田のおっちゃん?あぁ、俺。亜紀。………うん、……あぁ、まぁそれなりにな、まぁそれはともかく、注文。……沙羅ぁ、何か食いたいものあるかぁ?」
「え?特に無いけど…」
「んじゃあ、適当でいいな?あぁ、おっちゃん?悪い悪い、えっとうどんか何か二つと、猫用缶詰かなんか……ん?……あぁ10年ぶりに妹に会って今家に居るだけだよ。……――ッ!バッカんなわけあるか!まぁそういうわけだから、うん、よろしくな!!んじゃ!」
亜紀は顔を真っ赤に染めながら、受話器を叩きつけるように置くと、溜め息をついて居間に戻った。
「ルリ、晩飯は確保したからな。ったく、あのおっさんは!」
頭を抱えながら、ルリのことを撫でていると、沙羅が訊く。
「どうかしたの?」
「んいや、別に、今電話していたとこのおっさんに、お前の事話したら、茶化されただけだ」
「そう。で、何て?」
沙羅の問いに、再び亜紀は顔を染めると、
「バッカ!どうだって良いだろうが!」
まるで熟したリンゴのように顔を染め上げた亜紀を見て、沙羅はただ、きょとんとして亜紀を見つめるだけだった。

しばらくして、家のチャイムがなった。
「あ、来た」
亜紀が財布を持って玄関まで行く。
沙羅にちゃんと待ってろと念を押してから。
しかし、そこは亜紀の妹。そんなことを守ることは無い。
居間の入り口からルリを抱きながらそっと玄関の方を見る。
そうすると、そこには黒スーツを着込みサングラスまで掛けた、強面の男が亜紀と話をしていた。
(や、矢井田、さんかな?)
どう見ても堅気ではない。
沙羅が息を呑みながらその様子を伺っていると、抱いていたルリが、身動きが取れないのを嫌がってか、スルリと沙羅の手から抜け出し、玄関のほうに走っていった。
それを見た、沙羅は慌ててルリを捕まえようとするが、ルリはその手から悠々と逃げ、亜紀の背中に飛びついた。
それだけだったら、今現れた男は何も思わなかっただろう。
しかし、そのとき、沙羅が盛大に頭からこけ、更に小さくでも声を上げてしまった。
「きゃっ」
それに気付かない、男ではなかった。
というより、玄関から居間から飛び出た沙羅の上半身が見えるわけで、フォローのしようもなく、少女は893のような男に見つかった。
それに気付いた亜紀は、溜め息と共に頭を抱えたのであった。

「この人は、矢井田清司さん。ちょっとした伝で知り合いになって、俺、親父もいなくなっちまったから、時々面倒見てもらってんだよ」
亜紀が項垂れながら沙羅に言うと、清司は
「矢井田清司です。よろしくおねがいします、沙羅さん」
「はぁ、浅沼沙羅です。よろしくおねがいします」
「清司さんは、まぁ、顔は怖いけど、優しい人だから安心しとけ。…まぁ堅気ではないけど」
「亜紀、そういうことは言わない約束だろ?それに、君に妹が居たなんて初耳だ。親父も何も言わなかったからな」
「別にいいじゃねぇか。大した問題じゃないだろ?ていうか、清司さんもなんでそんな、黒スーツ着てんだよ。ご丁寧にグラサンまで掛けてさ、それじゃ誰がどう見たって危ない人だよ」
「親父が無駄にそういうのに拘るだけだ。俺の趣味ではない」
低く良く通る声でそういうと、溜め息をつきながらもう一言。
「では、俺は帰るとするか…折角の兄妹の時間を邪魔するわけにもいかない。飯代は俺の驕りにしてやる。それでは、沙羅さん。亜紀は頑固ですが、貴方が言えば、直ぐに折れるでしょうから、尻に敷いてやってください。それでは」
「アンタだって、悠ネェに尻に敷かれてんだろうが!」
最期に余計なことを言った清司に文句を言うが、清司は何処吹く風。ルリを軽く撫でてから、さっさと玄関から出て行ってしまった。
再び、盛大に溜め息をつくと亜紀は項垂れた。
「あの、親子はそろって人のことからかいやがってぇ!!」
「で、でも、礼儀正しい人だったよ?」
「それ仮面だから、本性はものっそい怖い」
亜紀が遠い目で言う。何時かその本性を見たんだと、沙羅は直感的に理解した。
「多分、一回関わったからには、相当数で清司さんの…いや、矢井田のオッサンの影響を受けるから、覚悟しておけ」
「う、うん」
「…じゃあ、飯…食うか」
亜紀は一週間分の疲れを吐き出したかのような、巨大な溜め息をつくと、清司の持ってきた、鍋焼きうどんをテーブルに乗せた。

余談だが、沙羅によると、うどんは美味しかったらしい。


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