リオの村から歩いて、半日しただろうか、二人は未だ、道をノロノロと歩いていた。 「ねぇ、ゼロ」 ノゾミが相変わらずの平淡とした口調でゼロを呼んだ。 「どうかしたか?」 「いや、訊くのを忘れていた。次の目的地は、何時ごろつくのか」 あぁ、とゼロは煙を吹きながら、 「次の村までは、大体あと一日くらいだ。…そいや、今日は野宿になるな。言ってなかったが、いいか?」 「む。問題ない」 ノゾミは特に何ということもないと言った感じで、肯定した。 ノゾミと言う少女は、やはり、普通の少女ではなかった。 ゼロは、自分の少し前を楽しげに歩く少女を見ながら思った。 見た目こそ、なるほど、少女だが、纏う雰囲気、存在感、絶対的意思の強さ、何を見ても、自分以上の力を持っていることが直ぐ分かる。 そんな少女の背中を眺めながら、溜め息を吐いた。 勢いで、旅をすることになってしまったが、本当に自分は彼女と生活することができるのだろうか? そんな、単純で重い疑問が、脳裏によぎった。 神とまで呼ばれた彼女と暮らすに、自分では力量不足ではないかと、真剣に悩んだ。 だが、ゼロは冷静であるが故、単純だ。 彼女が振り返って小首を傾げるだけで、その問題が、なんでもないように思えるからだ。 独りで旅をするより、どんな存在であっても、一緒に旅をするほうが何倍も楽しいのだということに、今更に気がつき、小首を傾げる少女に微笑み返した。 ゼロと言う青年は、やはり、変な男であった。 ノゾミは、小首を傾げながら、後ろにいた青年を見る。 幾人というものの望みを聞き、たくさんの人を見てきた自分でも、何を考えているか分からない、存在であった。 幾ら、神だと崇められても、分からないものは、分からない。ノゾミは直ぐに考えを切り捨てた。 分からないことを幾ら考えてもそれは、不毛であり、時間の浪費に過ぎないことを、自分は知っていた。 だが、青年をみて面白いと思うことは止めなかった。 微笑む青年の心は、翳りを見せながらも、今まで見てきたどんな人よりも澄んでいたからだ。 自分の望みではなく、他人のましてや、叶える側の望みを聞いてきた青年。 面白いと言うしかないだろう。 ノゾミは、ゼロの微笑みを見ながら、再び歩き始めた。 やがて、ポツポツ歩きながらも、夜になった。 空には、満点の星が煌めき、金色に輝く月が辺りを照らしている。 二人は、少し開けたところで、火をおこし、野営をする準備をしていた。 「ねぇ、ゼロ?」 「何だ?」 集めた枝木にライターで火を点けながら、返事をする。 「この辺は、獣はでないのか?」 「ん?あぁ、熊が出ると聞いたことはあるが、滅多に出ないそうだが?」 「そうか」 「別に、心配するな。熊くらい追い払える」 ゼロはカチンと腰に差した刀を鳴らした。 ノゾミはそれを見ながら、微笑む。 「まぁいざとなったら、私も追い払うことは出来るぞ」 「本当か?」 「うむ。これでも神と呼ばれたこともあるのだ。それくらい出来て当然だ」 えへんと胸を張るが、胸は無い。 「そうか、じゃあ、出たら任した」 「うむ。よかろう」 瞬間 ノゾミの後方で、ガサリと音が鳴った。 ビクリと肩を動かすと、ノゾミの動きが、あの街中の時のように固まる。 「熊だな」 ゼロが言う。 「……………」 ノゾミは固まったまま。 少しずつ、音が近づいてくる。 そして音が一際大きくなると、ゼロの言った通り、熊の鳴き声がする。 鳴き声が後でなった瞬間に、ノゾミは叫び声を上げないにしろ、飛び跳ねて、ゼロの直ぐそばまでやってきた。 ゼロに無表情だが、しがみ付く姿は年相応の少女そのまま、さっきの威勢は何処へやら、ゼロは無言でノゾミの肩を抱くと、腰から刀を抜き、さっきノゾミがいた場所に、投げた。 ノゾミの座っていた木に突き刺さると、刀身が淡く光り、鈴の音が木霊した。 しばらく成ると、熊らしき気配は、足音を立てて遠くへ去った。 熊の気配が消えると、ゼロは、刀を引き抜き、鞘に収める。 ノゾミの震えも止まったが、居心地悪そうにもとの位置に戻って座り、俯いていた。 「……すまん」 「いや、別にいいけど……」 何故か、物凄く居心地の悪い空気が流れていた。 「……………」 「……………」 二人とも沈黙したまま、互いに目を合わせず、ゼロはタバコの煙を追い、ノゾミは、俯いたまま、微動すらしない。 ついに、居心地が悪くなったか、ゼロが、「薪を拾ってくる」と咥えていたタバコを焚き火の中に投げ捨て、新たなタバコをふかして、暗闇の森に消えた。 ゼロの気配が消えるころには、ノゾミは盛大に溜め息を吐いて、項垂れた。 そして、焚き火に愚痴るかのように、自らの失態を呟き続ける。 しかし、焚き火は取り合う気は無いと言わんばかりに、風に吹かれて消えた。 何故だか、泣きたくなるほど悲しくなった、年齢不詳の少女が再び盛大な溜め息を吐いた。 ノゾミが盛大に溜め息を付き始めた頃、ゼロは暗い森を、タバコの光だけで突き進んでいた。 タバコの弱々しい、光では、森を照らすどころか、自らの周りすら照らしてはくれなかった。 だが、ゼロにその程度は問題ではなかった。 数年前、西の国の夜の樹海をタバコの火だけで突き進んだことのあるゼロにとって、この森の暗闇など、叢でしかない。 ちょこちょこ、手を伸ばして落ちている枝を集めながら、煙を吐く。 ノゾミがあそこまで、何故落ち込むのかさっぱりわからなかったゼロであるが、なにやら自分に非があったようなので、軽く自己嫌悪に浸っていた。 実際は、ゼロに非は一切無かったのだが、まぁ気分的な問題である。 そんな自己嫌悪を、二本目のタバコが短くなるほど続けていたら、枝は片腕で抱えるほど集まっていた。 これだけ、集まれば十分だろうと、踵を返そうとした瞬間。 「…………ッ!?」 森の向こう、ゼロとノゾミが野営をしていた、少し開けた所。その少し先に人影が数人、見えた。 3人、いや4人。 ゼロは野営地に歩みを進めながら、冷静にその数を数えていた。 遠くて顔はよく見えないが、各々、刃物らしきものを持っている。 ゼロは、抱えていた枝木を落とすと、刀の柄に手を置き、勢い良く走り始めた。 「誰、貴方たち」 暗くなり、一人でいるのが寂しくなって、魔法で焚き火に再び火をつけたところ、ノゾミの目の前に見知らぬ男が4人立っていた。 ノゾミは項垂れた首を持ち上げ、軽く首をかしげながら、突然現れた4人の男に問うた。 その男達はノゾミの言葉を無視し、舐めるような視線で、ノゾミを見た後、一番前に立つ、無精髭を生やした男が 「ガキだが、中々綺麗な顔してやがる。売ったら高い」 と後の三人に向かって言い放った。 後の一人が、ノゾミの隣にある、ゼロの持っていた荷物に触れようとすると 「…やめろ。見知らぬ貴方たちが、この荷物に触れていい道理はない」 鋭く睨んで、男の腕を、掴んだ。 「……アニキ、どうしやす?」 腕をつかまれた男は、ヘラヘラ笑いながら、無精髭を生やした男に尋ねる。 「傷はつけるな。それ以外はどうでもいい」 男は無表情で、そう告げる。 「そうすか?じゃあ、遠慮なく」 ノゾミに掴まれた腕を逆に掴み捻り上げる。 「痛ッ」 短い悲鳴を上げるが男はニタニタと品のない笑みを浮かべ、苦痛に顔をゆがめるノゾミの顔を舐めるように見回した。 そして、近くの地面に突き飛ばす。 ベシャと音を立てて転ばされる。 その隙に、リーダーの男の後ろに立っていた二人が、ノゾミを捕まえる。 「傷つけるなって言ったのに、なんで突き飛ばすんだよ」 リーダーの男は呆れながら最初掴んでいた男に言う。男はヘラヘラしながら平謝りをした。 「まぁいいか、連れて行くぞ。お前は荷物を持っていけ」 「了解っす」 軽薄な男は、近くに固めておいてあった、荷物をひょいと持ち上げ、ノゾミを捕まえていた二人に、捕まえた女を連れて行けと、顎で促した。 そして、ノゾミの腕をひっぱろうとしたその瞬間。 リン 小さく、鈴の音が響く。 刹那 ノゾミの腕を引っ張っていた、男の一人が、吹っ飛ぶ。 「「「!?」」」 三人が同時に吹っ飛んだ、男を目で追う。 その一瞬に、もう一人の男も吹っ飛ばされる。 「な、何だぁ!?」 荷物を運ぼうとしていた男が、素っ頓狂な声を上げて叫んだ。 掴まれていた、腕を放され、再び、転びそうになるノゾミを抱いて支える、青年が一人、月のような、金色に光る瞳を輝かせ、呆気にとられる、二人を睨んでいた。 「…大丈夫か、ノゾミ?」 ゼロは、抱きかかえた、ノゾミに訊いた。 ノゾミは、顔についた泥を手で拭いながら、しっかりと、ゼロの目を捉えて返事を返した。 「ん。汚れたが、擦り傷くらいだ、直ぐ治るから平気だ」 「そうか」 ゼロは短く、安堵すると、ポケットに入ったナイフを、荷物を漁っていた男に見ないで投げる。 そのナイフは、正確に男の肩に命中する。 「ぐぁっ!!」 無精髭を生やした男は、悲鳴を上げると、仰向けにひっくり返った。 ベチャリと泥が跳ね、のた打ち回る様を横目に眺めながら、リーダーの男は溜め息を吐いた。 「あぁ…お前誰よ?」 「………………」 ゼロは答えず、無言で白銀の刀を抜いた。 地面と平衡に刃を構え、いつでも、敵の心臓を射抜ける形をとる。 「あぁ、悪かった、こっちが自己紹介してなかったからな。俺は、リーゼンってもんだ。まぁ、夜盗とか人攫いやってる、人間の屑だ」 さらりと、自分の身の上を話しながら、着実に間合いを取るリーゼン。 「……ゼロ」 「あぁ?…あぁ名前か?変わった名前だな」 片手をポケットに突っ込みながら下品な笑みをを浮かべる 「なぁ、ゼロさんとやら、都合の良い話でなんだが、俺たちを見逃しちゃあくれないか?」 「何だと?」 眉を顰めながらゼロは言う。 「本当に都合に良い話だな。だが、却下だ。お前等に恩を売ったところで、コチラに得があるとは思えない。まず、被害を受けている時点で、お前たちには交渉の余地すらない」 あくまで、無表情にそして感情の無い声で、ゼロはリーゼンに向かって淡々と告げる。 「それに関しては謝る。悪気が無いとか、そんなつまらない言い訳もしない。俺たちはつまらねぇ小悪党だからな。だけれど、俺も仲間を見捨てていくわけにも行かないし、何より死にたくはない。俺はこんなチンピラだが、こいつらだけは守りたい。そういうものがある。だから、頼む。見逃してくれ」 リーゼンも下品な笑いをやめ、真面目な顔をして、懇願する。 「………チッ」 ゼロは舌打ちをしながら、あたりに倒れる三人の男を見る。 ゼロは、正義の味方ではない。だから、悪党を殺す義理もないし、かといって、情をかける人情も無い。 あくまで、冷淡と、人をすかしてみるように生きるだけだ。 だが、つい今さっき、守るべきものが出来た。 それを、傷つけるやつは、殺すことも躊躇わないし、情をかける必要もないと思う。 だが、前に立つリーゼンにも守りたいものがある。それが嘘かどうかは、分からないが、それでも、ゼロにはそれは嘘には聞こえない。 そのせいで、彼等を殺すことに躊躇いを覚えてしまう。 何かを、守ると決めた今のゼロは、甘いと言えば、甘い。だが元のゼロの性格ゆえに、踏ん切りもつかないのだ。 「…ゼロ、私は、確かに転んで、泥まみれになったが、別に怪我をしているわけでもないし、彼らを恨んでもいない。だから赦してやってもいいのではないか?」 ノゾミが、ゼロのコートの裾をひっぱりながら、小さく言う。 「……………」 ゼロは、一回だけ、奥歯を噛み締めてから、無言で刀を下ろした。 「ありがとう。一つ借りが出来た。この借りは必ず返す」 「…返さなくて良い、さっさと失せろ」 吐き捨てるように言うゼロに、もう一度感謝を述べてからリーゼンは、三人をたたき起こし、引きずるように去っていった。 四人の姿が、消えると、ゼロは緊張を解いて、ノゾミに近寄った。 「大丈夫か、ノゾミ?本当に、怪我とかないか?」 「うむ。まぁ擦り傷程度はあるが、別に騒ぐほどのことではない。それよりも、ゼロ…」 ノゾミは一旦、そこで言葉を切った。 「?」 ゼロが、首を傾げると、ノゾミは、悲しそうな目をしながら言葉を繋げた。 「貴方は、彼等を殺そうとしたな?」 「…………」 ノゾミの問いに、ゼロは無言。 「どうして?別に殺す必要はないはずだ」 「……俺は、ノゾミを守ると決めた。だから、お前に危害を及ぼすヤツは、排除する」 ゼロは、唇をかみながら、苦々しく言う。 ノゾミは俯きながら、そっと口を開いた。 「………私は、長いこと生きて、そして、様々な望みを聞き、叶えてきた。そして、貴方に会うまでに、何人もの人を殺したことか……それを、他人の望みを叶えただけで、私に罪が無いとは言わない。言えるはずが無い。私が殺したのは、どうしようもない事実だ。だが決してそれを良いことだと思ったことも一度も無い。だから、そんなことを、私のためなんかに、貴方にやってほしくはない」 懺悔。 神と呼ばれ、長い時を、人の望みを叶えるという行為で過ごしてきた、中には、人を殺すことも含まれた。 赦されない、その罪は、ノゾミにとっては苦しみでしかない。 だから、その罪を抱える、ノゾミにとって、ゼロにはそんな苦しみを抱えさせたくは無いのだろう。ましてや、自分自身のために… そんな言葉を聞いた、ゼロは、腰に差した刀を見た。 人を斬るため、作られた、紛うことなき人斬り包丁。 ぎゅっと、刀の柄を握ると、一気に鞘から抜き放つ。 鈴の音が、夜の森に響いた。 ノゾミが顔を上げた。 ノゾミと、自分の間に、白銀の刀を突き立てるゼロ。 そして 「俺は、お前を傷つけたくない。だから、お前を傷つけたヤツを斬る事には何の躊躇いも覚えない。だが、お前がそれを嫌がるならば、俺が人を殺すことには意味が無い。お前が悲しむことを、わざわざして、それが嫌なのは俺自身だ。この刀は泣くだろうが、俺は誓う。お前のために、俺は人を殺さない」 はっきりと、夜の森に響くような澄み切った声で、ゼロは誓い、そして笑った。 「…約束だぞ?」 ノゾミははにかみながら、ゼロに向かって言う。 「あぁ約束だ」 ゼロも、笑みを浮かべながら、ノゾミの言葉に胸を張って答えた。 二人の、笑い声は、夜の森に、静かに響いた。 ○=目次へ |