第三話 朝



「ん……朝、か?」
ゼロは首だけを横に向け、部屋の窓から差し込む光を見て朝だと確認する。
変な夢を見た。
ゼロはそう思う。
しかし、どんな夢だったかさっぱり覚えていない。
夢なんて何時もそうだった。
なにか思い出そうと必死になるときは、必ず忘れ、
思い出したくない夢は延々と残る。
溜め息を一つ吐き、身体を起こそうとしてようやく自分の身体の異変に気付いた。
「ん?何だ、身体が重ッ!?」
身体が重いなと思ったら、自分の腰の辺りに生暖かい人肌の温もりを感じた。
良く見てみると、ゼロが被っていた布団の合間からピョコンと黒い髪の毛が出ている。
ゾワゾワと背筋に嫌な予感が迸る。
ベッドの脇からは、白い、細くて長い女の子の足が無防備に飛び出ていた。
体中からブワッ、と嫌な汗がダラダラと流れ出る。
しかも、布団はゼロがいないはずのところまで不用意に膨れている。
その上、規則的に動いている。
ゴクリと、喉を鳴らし、ゼロは覚悟を決めて恐る恐る布団に手を掛ける。
一旦眼を閉じて深呼吸をして心を落ち着かせて、一気に布団を剥ぎ取る。
バサッという音共に布団は剥がれ、床へと落ちる。
そこに居たのは……
「む……朝、か?」
ゼロの腰に抱きついていた、ノゾミであった。
ノゾミは起き上がり、ゴシゴシと眼を擦ると自分がいた場所を確認して、表情を変えずに
「貴方あなた……何故、私の寝床に居る」
半開きの目でゼロを見る。
ゼロは汗だくになりながらも、喉を震わせる。
「い、いや、お前が俺のベッドに入っているんだが?」
向こう側にあるベッドを指差すと、
「そうか」
ノゾミはゼロの居たベッドから飛び降りて、反対側の、布団やらが散乱している自分のベッドに倒れこんだ。
そして、そのまま眠ってしまった。
すぅ、すぅと規則的な寝息を立てて、無垢な少女の顔で寝てしまった。
ゼロはその寝顔をドキマギしながら覗いたが、完璧に寝ている。
なんだろう、何か男として悔しい気が……
ここは、一つビシッと言っておくべきなのか?
ゼロはそんなことを悩みつつ、よし、と決意してノゾミのベッドに近づいていくが、
「あ」
間抜けな声を上げて、ノゾミの散らかした布団に足を取られ、
ドサッとノゾミに覆いかぶさるように倒れこんだ。
「…む、ぅう……」
ノゾミが身動ぎをして重そうに唸る。
ゼロは飛び跳ねるように後退る。
とことん女に免疫のない男である。
心臓をバクバクと鳴らしながら部屋の隅で空を仰ぐ。
こんな調子で旅をしていけるのか。本当に謎だった。

そんなこんなで、ゼロがノゾミを恐る恐る起こすまで30分もかかり、ゼロはゲッソリしながら荷物を整えていた。
「どうしたの?」
ノゾミがゼロの顔色を見て首をかしげながら尋ねてきたが、ゼロは背中越しに何でもないというばかりだった。
というかそう言うしかない、と心の中でゼロが呟いていると
「ゼロ…何か私に隠し事をしていないか?」
「何もしてないよ」
ゼロは極めて平静を保った。
しかし軽く棒読みになってしまった。
バレるかなと不安に思いながら後を見ると。
「そうか」
と、全く疑いも持たずに頷くノゾミの顔があった。
ほっと胸をなでおろし荷造りを再会すると
「ゼロ」
ノゾミがまたも話しかけてきた
「何だ?」
ゼロはそれに律儀に答えた。
すると
「朝食は……まだか?」
気付くと日が高くなっていた。

ということで、二人は遅めの朝食を摂るために階段を下りた。昨日、パン屋を見たからそこでパンを買おう、とゼロは計画していたのだが
正直、ノゾミは来る必要が無かったのではないか?と小首をかしげながら、女店主の前を通ると、店主が
「よ、お兄さんお嬢ちゃん。良く眠れたかい?」
昨日のニヤニヤした笑みを浮かべながら訊いてくる。
ゼロは良く眠れたと返事をし、ノゾミは欠伸を掻きながらその場を過ぎた。

まぁ予定通り小麦のパンを二つ買い、宿に引き返してそのまま喰らう。バターやジャムは高級品だ。何もつけずパンを頬張る。それでも十分美味い。
「む、美味しいな」
ノゾミが言う。
ゼロも「あぁ、美味い」と返した。
正直ゼロも小麦のパンなんて滅多に食べない。小麦は高いから、少し硬くても質の悪いパンを食べたりして過ごす。
「ノゾミ、食べたらここを出るぞ」
「む、分かった」
ノゾミは「口に物を入れる機会が無かったからな。今のうちに喰わなきゃ罰が当たる」と言って、がつがつとパンを頬張っていた。正直、神と呼ばれたお前に誰が罰を当てるのだろうか?
ゼロは悩みながらも、小麦のパンを頬張り飲み込む。
そして、二人がパンを食べ終わると、旅支度の後詰めをした。
ノゾミのものが一切無いから、街に出て買わなくては。
ゼロはそんなことを思いながら、巨大なザックのふたを閉じると、一息ついた。
ノゾミはベッドの上でゴロゴロしている。
「ノゾミ」
ゼロはそんな彼女を呼ぶ。
「何だ?」
ノゾミはいつもの平淡な声で訊く。
「コレ、やるよ」
ゼロは左耳についていた耳飾りを外すとノゾミに投げる。
それをことも無く受け取ると、ノゾミはしげしげと観察し、そして訊く。
「いいのか?」
「いいよ」
それは、ピンク色のダイヤの嵌った見事な耳飾りである。
ノゾミはそれのつけ方が分からなかったようなので、ゼロにつけてくれと頼み、ゼロはノゾミの髪の毛を上げて、左耳に付ける。
穴に通すタイプではないので、耳に穴を開ける必要はない。
それをつけると、ノゾミは笑みを浮かべながらゼロに訊く。
「似合うか?」
「あぁ」
「そうか」
ノゾミはその耳飾りを指で弄りながら微笑んだ。
その笑みを見て、ゼロも自然と笑った。
もしも、彼のことを一度でも見たことのあるものが、ノゾミにあってからの彼を見たら、おそらくとても驚くことであろう。
ゼロは無表情に過ごすことが多い。世界中を転々と歩き続けるだけ。誰かと一緒に行動することも、コレが最初ではないにしろ、両の手で数えられるほどしかない。
しかし、その数えるほどしか居ない、ゼロと行動をともにした者にも、ゼロが笑みを浮かべるなど、よほど親しくなった者だけだ。
それにも関わらず、昨日会ったばかりのノゾミのはずだが、ゼロは愛おしそうに笑みを浮かべている。
それは、悪魔と天使が手を取り合っているような、そんな起こりえないことのように、ゼロを知る人たちは思うだろう。
ゼロはポケットから煙草を出して火をつけると、荷物を担ぎ上げノゾミに行くぞという。
ノゾミはそれに頷くと、耳飾りを弄りながらゼロとともに外に出た。
料金は前払いのため、ゼロは例の女店主に鍵を返し、礼を言うと、ノゾミと一緒に村に出る。
村は日も上がり始めたのか、昨日の喧騒を取り戻していた。
そこでやはりノゾミは、人になれていないのか、ゼロのコートに掴まりながらビクビクしながら歩いていた。
行く人たちに、「もう帰るのかい?」と訊かれても、ゼロは受け答えしても、ノゾミは固まったように無言で通す。
それを怪訝に思う村人だが、ゼロが、人見知りが激しいと説明すると、豪快に笑って、すまなかったと去っていく。
ノゾミはそんな様子を見て、悪いことをしたと思ったのか、毎回しゅんとする。
しかし、再び人に話しかけられると、カチンとスイッチを入れたように固まり、黙ってしまう。
そんなノゾミを撫でながら、ゼロとノゾミは村の外に出た。

村の外に出て少しすると、ノゾミはふぅとため息をつく。
「私は…彼等に悪いことをしてしまったのか?」
肩を落としながら項垂れる少女の頭を撫でるとゼロは言う。
「別に、良いんじゃないか?あの人たちだって、そんな気にしても居ないだろう?」
「そうだけど……」
ノゾミはしゅんと肩を落とす。
小さくブツブツと、『これからは人に慣れなくては…』とか、『何時までもゼロの陰に隠れていては、年長者としての示しが…』とか呟いている。
そんな様子を見て、ゼロはくすりと笑う。
ノゾミはそんなゼロの表情に気付かず、肩を落としブツブツと呟きを絶やさなかった。

(全く、子供なのか、大人なのか、しっかりしてくれよ、ノゾミ)

心中呟き、朝日の昇る空にタバコの煙を吹いた。


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